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第22号(2026)
総合研究大学院大学 先端学術院 日本歴史研究コース 橋本 侑大 キーワード: 笠置寺、経塚、経筒、外容器、経容器、陶製経容器、瓦質経容器、弥勒信仰、埋経 京都府相楽郡笠置町に所在する笠置寺は、弥勒磨崖仏を本尊とする弥勒信仰の聖地である。笠置寺の境内からは、銅製経筒や陶製経容器などの経容器類と和鏡や合子などの副納品類が出土しており一通りの経塚関係遺物が揃っているが、これまで笠置寺経塚について総合的に検討した考古学的な研究は行われてこなかった。そこで、笠置寺経塚について明らかにするために、各出土遺物の法量などの基礎情報や所見を提示したうえで、各出土遺物の時期や性格の検討を進めた。その後、各出土遺物に関する検討の成果を総合することで、笠置寺に造営された経塚の地域的な性格や造営時期についての考察を行った。近畿地方で研究の進む銅製経筒や陶製経容器、瓦質経容器などの経容器類からの分析を中心として進め、近畿地方における類例や使用時期、使用した造営主体についての検討を行った。 それぞれの出土遺物について検討した結果、笠置寺経塚の造営時期は12世紀であることがわかり、特に経容器類やその類例から12世紀第2四半期から第4四半期頃に複数の造営主体によって造営が行われた可能性が高いことが明らかになった。複合経塚では、室町時代まで時期が下る経筒が含まれている遺跡がみられるが、笠置寺経塚では室町時代に下るような経筒の発見はなく、笠置寺の経塚は12世紀を中心とした時期に造営され、その期間は長期には亘らないと考えられることが明らかになった。 また、銅製経筒の型式と、三筋文をもつ陶製経容器や瓦の製法による瓦質経容器などの京との関係の深さについて示すことのできる経容器類が出土していることで、京との関係の深さを考古学的に裏付けることができる結果となり、経塚のもつ地域的な性格が明らかになった。笠置寺での埋経行為については、『玉葉』に文治元年(1185)に九条兼実の弟である慈円を願主として行われた埋経の記録があり、京の貴族層による埋経が行われたことが確実な経塚であったが、考古学的な検討からも京との関係の深さを裏付けることができた。経塚関係遺物から造営主体の性格や遺跡の造営時期が明らかになったことで、当該時期の社会動向や信仰のあり方を経塚研究から検討する研究の可能性の一端が窺えることとなった。 | ||||||