総研大 文化科学研究

論文要旨

丘浅次郎の『進化論講話』における変化の構造

―1904年版と1914年版の比較を通じて―

総合研究大学院大学 文化科学研究 日本歴史研究専攻 佐貫 正和

キーワード:

丘浅次郎、『進化論講話』、3つの要素、「自然における人類の位置」、自然史、視座の変革、
社会ダ―ウィニズム、知のダブルスタンダ―ド、天皇制、共和主義

近代日本の進化論者は天皇制と一体どのように向きあったのだろうか。本稿の目的は、丘浅次郎(1868年〜1944年)の『進化論講話』(1904年版〜1914年版)を考察して、丘の進化論の特徴と、丘と天皇制の向きあい方とその変化の構造を明らかにすることである。

従来の丘をめぐる研究史は、丘の進化論は天皇制と「調和」した又は「対立」した、丘はナチスと酷似した、丘は社会ダーウィニズムである、『進化論』は『種の起源』のまる写しである、丘は民族間戦争を絶対視した、丘の社会進化論は荒唐無稽である、丘は人獣同祖説を主張した、丘は共和主義を主張した、など実にさまざまな批評をしてきた。このように、今まで丘の進化論は多様な観点から批評されてきたが、相反する各批評が乱立したままで、評価はいまだ定まっていない。各論者は、丘の思想をやや一面的に批評する傾向があったために、丘の思想の多様性とその変化は注目されてこなかった。私は、1900年代の丘には性格の異なる3つの要素が同時に混在しており、各論者がその中で1つか2つの要素を選んでやや一面的な批評をしてきたことが、丘と『進化論講話』の評価が定まりにくかった大きな要因であると考える。本稿の課題設定として、『進化論講話』の論理、読者のさまざまな批評、各版の叙述の変化などを総合的に考察することによって、1904年版では丘の進化論と「迷信」をめぐる3つの相反する要素が同時に混在していたことと、1914年版では3つの要素が変化して丘の思想の方向性が定まったことを明らかにする。

2章では、丘が設定した目的や枠組みや章立て構成や論理などに注目しながら、『進化論講話』という作品全体の中に不均等に混在していた3つの要素を整理して、『進化論講話』全体の基本的特徴を考える。『進化論講話』を検討する上で、3つの要素が不均等に混在したと捉えることと、「自然における人類の位置」というキーワードに注目することが重要となる。先ず、丘が設定した枠組みや章立てや論理などに注目しながら、各要素に対応する章と箇所と論理を検討して、『進化論講話』の中に不均等に混在していた3つの要素を整理する。次に、「進化の事実」という土台の上に「自然における人類の位置」が成立しえたことと、この二つの問題の根底には自然史という広義の歴史論が存在したことを検討して、「自然における人類の位置」から出発する丘の思考の特徴を明らかにする。最後に、「自然における人類の位置」から出発する丘の思考と、1920年代の丘の共和主義の関連性を考える。「自然における人類の位置」の考察には、1900年代に確立した丘の思考の特徴と共に、丘の思考と1920年代の共和主義の関連性を明らかにする意義がある。

3章では、『進化論講話』を戦前に読んだ人々が発表したさまざまな批評を3つに類型化して、3つの要素が混在した『進化論講話』と読者の対応関係を明らかにする。『進化論講話』は、一般の人々が生物進化論を理解できた日本初の進化論書である。従来の批評の取り上げ方には、自己の論旨に合致する批評の紹介や考察にとどまる傾向があり、自己の論旨とは相反する批評を含めて『進化論講話』の読者の全体像が検討されることはなかった。そこで本稿は、各読者が、どの個所に力点を置いて読み、どんな論理に注目して、いかなる反応を示したのかを検討することによって、『進化論講話』をめぐる各批評を3つに類型化する。各批評の考察には、日本の一般の人々が初めて接触した生物進化論に示した反応の一端や、3つの要素が混在する『進化論講話』とその読者の全体像の対応関係を、多様なパースペクティブの中で明らかにする意義がある。

4章では、『進化論講話』各版の叙述を比較して、1904年版では丘の進化論と「迷信」をめぐる3つの相反する要素が混在していたことと、1914年版では3つの要素が変化したことを明らかにする。先ず、一覧表を使いながら、3つの要素の特徴が一箇所に集中して出ており、丘の3つの要素と読者の批評の3類型の対応関係も検討することができて、更に各版の比較によって3つの要素の変化も検討することができる「進化論と宗教と」とその周辺の叙述を比較する。次に、丘の「迷信」論の意味や、丘の進化論と「迷信」をめぐる3つの要素が変化した意味と理由などを考える。特に本稿は、1913年以降に丘の論じた「迷信」が「天皇制」を意味したことを論証する。丘の進化論と「迷信」をめぐる3つの要素とその変化の考察には、進化論者が天皇制と向きあう場合に想定できる3類型(進化論と対立する天皇制を批判する、進化論で天皇制を擁護する、進化論と天皇制を調和させる)の特徴と、その3類型が変化していく歴史的契機を同時に明らかにする意義がある。