総研大 文化科学研究

論文要旨

源俊頼の和歌と短連歌

―後代の和歌への影響―

総合研究大学院大学 文化科学研究科 日本文学研究専攻 大野 順子

キーワード:

源俊頼、和歌、連歌、俊頼髄脳、散木奇歌集

源俊頼が『金葉和歌集』に勅撰集で初めて連歌の部を設定したことは、歴代勅撰集の編纂史上において異例の出来事であった。自らの著した『散木奇歌集』や『俊頼髄脳』に多くの連歌作品を取りこんでいることから明かなように、俊頼は和歌に比べて一段低く見られがちな「連歌」という形式に対して強い関心を抱いていた。その俊頼が編者をつとめる晴の歌集に「連歌」という呼称を置いたということは、和歌と連歌とを完全に同等と認めるまではいかずとも、短連歌が和歌という伝統的な文学へと、より接近する表現形式へと成熟していたと考えていたことを示すであろう。

俊頼の短連歌が研究される場合、掛詞(秀句)や縁語といった和歌と共通するレトリックを用いつつも、和歌とどれほど異なる表現形式として新たに発達・展開していったかということに力点が置かれ、和歌との親和性についてはあまり論じられてこなかったように思う。しかし、それらの作品を分析していくとある特徴の認められる一群が存在した。

俊頼自身あるいは彼によって収集された連歌を見ていくと、ある特定の和歌から秀句を求めるのではなく、何首もの和歌に繰り返し用例の見られる句の「型」を用いていたのである。この場合、連歌と和歌のあいだに意味内容においては重なるところはないのだが、もともと和歌において用例の多い句の「型」を連歌に用いたということは、前句の形式に対してどのような付句をすれば構造として安定するのかを先行和歌から学んでいたことの証となろう。和歌において汎用性の高い句の「型」を連歌に取り入れたということは、前句あるいは付句のように通常の和歌の半分しかない文字数を「決まった句」によって埋め、作者の創作の範囲を狭めるということになる。しかし、これは裏を返せば、作者自身が創作する文字数を極力減らすことで素早く前句に対応するという手法であり、そのように詠むことで連歌の特質である即興性に対応しやすくするという効果があったと考えられる。

そこで『散木奇歌集』と『俊頼髄脳』に収録された短連歌が後代の和歌にどのように受けいれられていたのかを見ていくと、いわゆる本歌取りのように特定の連歌に拠って新詠和歌が詠まれていたほか、俊頼が連歌を詠むために多用していた、複数の歌に共通する句の「型」をとるという先行作品摂取の方法が新たに和歌を詠む際に用いられていることが確認された。従来の詠法に行き詰まりを感じていた院政期の和歌には、新要素を取り入れる柔軟さがあった。このため、遊戯性が強く和歌より一段低いものとされていた連歌の詠法までもが、俊頼以降の和歌では積極的に取り入れられていったと思われる。さらに、こうした先行歌摂取の方法の広がりは、やがて新古今時代の本歌取りへと連なる流れの一つとなっていた可能性が考えられる。