総研大 文化科学研究

論文要旨

近世期における「正成の妻」像の変容

東京大学大学院 総合文化研究科 超域文化科学専攻 李  忠澔

キーワード:

楠正成、正成の妻、太平記、良妻賢母、時代浄瑠璃

『太平記』に登場する正成は、智仁勇の三徳を兼備した武将で、天皇のために命を捧げた英雄として広く知られているが、近世期以降はその教訓的な側面が正成伝説の普及を支える肝要な要素となっていく。

『太平記』において正行の母は、父正成の戦死を悲しみ自ら命を絶とうとする正行を諌め、正成の遺訓の意味を再度教え諭す。このエピソードが端緒となり、その後正成の妻は良妻賢母として顕彰されていくことになる。

一方、近世前期に流行した「太平記読み」のテクストであった『理尽鈔』は、兵学中心の合戦談という性格から、正成の妻が正行に父の遺訓を教え諭す場面を省略し、その代わりに正成の首をめぐって足利直義と楠家の家臣間で繰り広げられた駆け引きに関するエピソードを挿入している。これは、合戦談の中では女性の存在が副次的にしか認識されないことから、『太平記』における正成の妻の情緒性豊かな描写が省略された結果と見られる。

このような『理尽鈔』における扱いとは別に、正成の妻は近世の早い時期から啓蒙目的の女訓書に登場している。仮名草子女訓書『本朝女鑑』では、『太平記』原典の正成の妻に関するエピソードが簡略な形で引かれており教訓を主眼とする女訓書の性質に即して、母として息子の誤りを戒める内容が中心になっている。

さらに、時代浄瑠璃においてはそれ以前とはやや異なる正成の妻のイメージが形成される。近松門左衛門の『吉野都女楠』において、正成の妻「菊水」は従来と同様に夫の遺志を継ぎ、息子を訓戒する良妻賢母として登場するが、その上に大力という性質をも兼ね備えた逞しい女性として描かれる。ここでは、男性のために自己を犠牲にする時代浄瑠璃の典型的な女性とは異なる、戦乱という苦難を生き抜く強い女性像が正成の妻に付与されていると言える。

一方、西沢一風・田中千柳の『南北軍問答』においては新しい趣向が設定され、正成の妻は女色に溺れる正行を訓戒する。正行の誤った行動を戒めるという点では、『太平記』と軌を一にするものの、正行が好色者として描かれる点に加えて、「泣男」杉本佐兵衛が正成の妻に代わって訓戒の内容を伝えるという点が新しい構想となっている。

このように、正成の妻は『太平記』から時代浄瑠璃に至るまで、良妻賢母としてのイメージを保ちながらも、その上に新たな趣向を取り入れつつ受容されていくことになる。