総合研究大学院大学 文化科学研究科 国際日本研究専攻 ゴウランガ チャラン プラダン キーワード: 方丈記、夏目漱石、英訳方丈記、方丈記の受容、漱石と方丈記、ジェームズ・ディクソン、西洋における方丈記の受容 『方丈記』は成立して間もないころから、様々な視点から多くの作品の中に受容され、連綿と関心が注がれ続けてきたのみならず、外国の人々からも多くの注目を集めてきた。夏目漱石が帝国大学在学中、英文学科の教授であったディクソン(James Main Dixon)の依頼により『方丈記』の最初の外国語訳として英訳を行ったことはよく知られている。また、ディクソンは、漱石の英訳を下敷きにして長明とワーズワースを対比した論文を執筆し、独自に『方丈記』の英訳も試みた。この二人の取り組みをきっかけとして、この作品は海外においても認識されるようになった。従って、『方丈記』に対する漱石とディクソンの持ったイメージは、国内外におけるこの作品の受容史を検討する上で重要な意味をもつと考えられる。 本稿ではこの二人の執筆した論文を中心に、国内外の英語文献から『方丈記』に関する言説の分析を行い、その受容に関する理解を深めることを目的とする。そこから漱石の英訳以前において既に英語をはじめ外国語の文献の中でこの作品が言及されていることが判明した。漱石に英訳を依頼したディクソンは、西洋の人々の中で初めてこの作品に強い関心を持ったと言えるが、より具体的に彼は『方丈記』に描写された隠者ないし孤独さといった主題に注目したと思われる。また、ディクソンの研究発表や当時の学会議事録から、西洋の人々はキリスト教の道徳的価値観の視点から鴨長明の行動を理解しようとしたものと考えられる。さらに漱石のエッセイとディクソンの書いた論文の関係についても検討をすると、ディクソンは漱石のエッセイから多くの内容を自身の論文に取り入れたこともわかった。 |