総研大 文化科学研究

論文要旨

慶安本『とうだいき』に見る古浄瑠璃正本の形態の変遷

総合研究大学院大学 文化科学研究科 日本文学研究専攻  林  真人

キーワード:

出版文化史、古浄瑠璃、正本、草子屋、本文省略

寛永初期から出版され始めた古浄瑠璃正本は、時代が下るにしたがってその形態を変化させていった。横本から中本、半紙本へ、半丁あたりの行数や一行あたりの文字数の増加、一枚紙表紙から厚手の紙の表紙へ、特定の太夫の正本であることを強調するようになる、などといった変化である。これらはコストカットなど商業的な目的に沿って起こった。また、近年の研究によって古浄瑠璃正本の本文が太夫ではなく草子屋の主導によって作られていたことが明らかにされつつある。

慶安三年刊の古浄瑠璃正本『とうだいき』(慶安本)の形態を寛永十年刊の『とうだいき』(寛永本)と比較すると、コストカットと太夫の正本であることの強調という、寛永期以降の古浄瑠璃正本全体が指向してきた方向と軌を一にしていることが分かる。

慶安本の本文は寛永本の本文を直接書承的に利用し省略したものであるが、同様の方法で作られた説経正本『せつきやうさんせう太夫』に見られたような省略に伴う物語内容の不備はなかった。また、ほんのわずかに増補された本文からは当期の太夫の正本であることを印象づける工夫が見られた。

慶安本は挿絵においても、寛永本を直接利用し取捨選択を行う一方、インパクトのある見開き図を創出するなど、読者に強い印象を与える工夫がなされていた。また、寛永本において本文と挿絵が同じ丁に混在していた箇所を本文の丁と挿絵の丁に分けることによって、制作の効率を向上させる工夫も見られた。以上のような制作方法が採られた結果、慶安本は寛永本の約半分の丁数で完結し、コストカットに成功している。また、現存する慶安本は再印本であることから、商業的にもある程度以上成功したことがうかがえる。

寛永本、慶安本の『とうだいき』を比較したときにわかることは、寛永期から慶安期にかけての操り浄瑠璃の上演時間の変化ではなく、浄瑠璃正本を安いコストで、絵入り読み物として魅力的に、且つ当期の太夫の正本らしく作ろうという草子屋の工夫の痕跡なのである。