総研大 文化科学研究

論文要旨

「源氏千種香」の依拠本を探る

―聞きの名目と源氏寄合に注目して―

総合研究大学院大学 文化科学研究科 日本文学研究専攻  武居 雅子

キーワード:

源氏千種香、源氏小鏡、聞きの名目、源氏寄合、組香、地の文

「源氏千種香」は、元文年間(一七三六〜一七四〇年)に成立したと考えられる香の伝書『香道蘭之園』の八・九巻に掲載されている組香で、『源氏物語』五十四帖のうち「桐壺」「夢浮橋」を除いた五十二帖を題材としている。この「源氏千種香」は、他の香の伝書や組香集には見られない珍しい組香である。香道実技の場において、「源氏千種香」は『源氏物語』に基づいて考案された文学性豊かな組香と考えられてきたが、内容を精査してみると、原典の『源氏物語』と明らかに異なる事象が存在していて、必ずしも忠実な物語の再現はされていなかった。

香道の歴史を顧みると、その創成に、連歌師や連歌に嗜みの深い人物が多く関わったことに気づく。一方連歌の隆盛にともない、『源氏物語』の言葉(源氏寄合)を用いた句が数多く詠まれ、その教則本として『源氏物語』の梗概書が機能したことから、「源氏千種香」も原典『源氏物語』を直接の典拠としたのではなく、いずれかの梗概書を経て考案されたものなのではないか、と推測した。そこで、まず巻順の異同を手がかりに各種の梗概書を調査したところ、中世から近世にかけて最も流布したといわれる『源氏小鏡』(以下『小鏡』とも略称)のそれとほぼ同じであることに気づき、拙稿「「源氏千種香」の依拠本を探る」(『総研大 文化科学研究』第9号、平成二十五年三月)において、「源氏千種香」の巻順、「箒木香」証歌、「玉鬘香」衣配り、「梅枝香」薫物合せ、「若菜香下」女楽のそれぞれの記述と、『源氏小鏡』第一系統(古本系)第一類京都大学本(伝持明院基春筆。以下古本系京都大学本と略称)の記述に共通点があることを指摘し、「源氏千種香」の考案に際し、この『小鏡』が介在した可能性について言及した。

本稿では、「源氏千種香」に登場する聞きの名目に『源氏小鏡』の寄合と同一のものがあることに注目し、さらには、『源氏小鏡』の地の文から生まれたと考えられる聞きの名目を精査検証しつつ、中でも古本系京都大学本系統が、「源氏千種香」の依拠本である可能性を探りたいと考える。「源氏千種香」の聞きの名目の多くが、『源氏小鏡』の源氏寄合から摂取されたとして、それは受動的な『小鏡』享受であり、さらに『小鏡』地の文から取り入れた言葉を使って新たな聞きの名目を生み出したのなら、それは香という知的遊戯世界での能動的『小鏡』享受と言えるのではないだろうか。