総合研究大学院大学 文化科学研究科 日本歴史研究専攻 鈴木 昂太 キーワード: 比婆荒神神楽、近代、民俗芸能、国家神道、文化の資源化 本稿は、比婆荒神神楽の伝承者が、明治から第二次大戦終戦までの近代をどのように生き、現在まで神楽を伝えてきたのかを明らかにする論考である。本稿では、政治経済や社会動向など、地域社会の外部から伝承者に与えられた影響に注目して考察を行う。 広島県庄原市東城町・西城町の神主と明治以降に農民たちにより結成された神楽社は、比婆荒神神楽を伝承している。神楽の執行に伴う経済的側面に注目して神楽を捉えると、執行者にとって神楽は、祭料やお花など収入を得ることができる稼ぎの手段でもあった。 近世期のこの地域では、神職たちが郡毎に神楽組を結成し、独占的に神楽を執行しており、一般家庭出身の者が神楽を舞うことはなかった。こうした状況は、明治新政府が実行した新たな宗教政策により変化し、一般家庭出身の村人たちが新たに神楽団を結成して神楽を舞うことが可能になった。 その後、明治の中頃から、国家の宗祀たる神社に奉職する神職は神楽を舞うべきではないという意見が強く主張されるようになる。また、地域の基幹産業であったたたら製鉄の不振という産業構造の変化があり、都市部への住民の流出も始まった。このような状況下で、産業に乏しい山間地域で暮らす農民たちは、冬季の出稼ぎとして積極的に神楽を舞い始めた。その結果、神楽における神事舞を神職、遊興的な能舞を神楽社が担当する近代的な執行体制が構築された。こうした執行体制のなかで、近世まで独占的に神楽を執行してきた神職たちは、明治時代の新たな宗教政策に応じた神楽の組織・規約を構築することで、神職たちが保持していた神楽に関する諸権利の維持を図っていた。 また、近代の歴史を見てきた結果判明したのは、神楽の伝承者たちが、自分たちが伝承する神楽を、時代の文脈や価値観に即して意義付け、変化させながら伝えてきた複雑な過程である。比婆荒神神楽は、神職たちから模範的と称賛され、天皇制と結びついた国家の神話を演ずる「神代」の神楽という正当性を得ることが出来た。伝承者たちは、こうした「模範的神代神楽」というブランドイメージを武器に、引率者である神職が有していた人脈や聖蹟顕彰運動などを利用して、出張公演を盛んに行っていた。このような民俗芸能を「資源化」する試みは、すでに戦前から始まっていた。 以上の考察より、比婆荒神神楽の地域社会における「民俗的」な側面ばかりを強調してきた先行研究者たちは、地元の外へ積極的に進出を試みていた近代の姿を見てこなかったことが理解されるだろう。本稿は、こうした研究史上の欠落を補うという意義を有している。 |