総研大 文化科学研究

論文要旨

松宮観山の思想における「道」と「教」

―神儒仏三教思想の成立原理についての一考察―

総合研究大学院大学 文化科学研究科 国際日本研究専攻 宋   琦

キーワード:

松宮観山、神儒仏、三教思想、中庸、聖人の道

松宮観山は江戸期に神儒仏三教思想を論じた一人である。彼は、兵学、儒学、測量学、易学、和歌、唐音などの複数の分野に精通していた思想家で、『三教要論』、『続三教要論』などの自著において、神儒仏三教思想を唱えた。本論文は、松宮観山の思想における「道」と「教」についての分析を通して、彼の神儒仏三教思想の成立原理を検討したものである。

最初に、松宮観山の生涯、彼の提起した神儒仏三教思想及びそれにかかわる先行研究を概観する。次に、松宮観山の神儒仏三教思想における「道」と「教」との関わりについて論じる。『三教要論』の冒頭には「教えとは何ぞ、道を脩る也」とあり、この内容の出典は『中庸』の「天命之謂性、率性之謂道、脩道之謂教」と思われる。これをみれば、『中庸』の思想の影響を受けた観山は、「天→性→道→教」の順で「教」が最終的に生成すると主張した。また、観山の神儒仏三教思想は、「道」と「教」との関連を重視し、「教」は自然の「道」によって決定される。これを踏まえて、松宮観山の神儒仏三教思想の成立原理を分析していく。松宮観山は、荻生徂徠の「聖人の道」への執着を批判し、また、本居宣長が「大和心」を探求することを否定する。さらに、観山の独自的な神儒仏三教思想の構造を分析した。彼は「十二支」という概念の活用で、当時のインド、中国、日本の三者を比較し、日本の活力或いは生命力を誇りながら、神道の優位性を強調する。また易学の「天地人三才」の原理、すなわち宇宙間に存在する万物を統合する視点から、神・儒・仏という三つの教えを併用した。

このように、神道を中心として、儒仏の二教を補佐とする神儒仏三教思想が構築された。時代背景から見れば、中国では「明清交替」は本土や周辺に大きな影響を与えた。松宮観山の時代、「夷狄」であった満州人が政権を握っていた。同じく「夷狄」と見なされた朝鮮や日本などの周辺諸国において、国家意識や民族意識が次第に強くなっていた。観山においては、日本の「道」の独自性を強調するのが、それにあたると思われる。しかし、儒学を基盤とする中華文明から離れることができず、また日本においては、仏教の広範な社会的基礎があるので、このような時代背景からみれば、すでに日本の独自性に焦点を当てた観山は、神道だけを強調するのではなく、儒学と仏教を活用するように、保守的な態度をもって神儒仏三教思想を提起した。