総研大 文化科学研究

論文要旨

原爆の記憶と観音像

―広島・長崎の公園の事例から―

総合研究大学院大学 文化科学研究科 日本歴史研究専攻  君島 彩子

キーワード:

観音、母性、記憶、原爆死者、モニュメント、墓標

本稿は、広島と長崎の公園に建立された観音像の事例から、原爆の記憶について論じたものである。観音像は「原爆死者」や「原爆災禍」の記憶を伝える造形物であり、二面的な記憶を想起させる。一方は原爆投下という「社会的な出来事」と原爆による「集団的で匿名の死者」の記憶であり、もう一方は近親者など「顔の分かる死者」の記憶である。本稿では、原爆災禍と集団的な原爆死者の記憶を想起させる役割を「モニュメント」、個人的な死者の記憶を想起させる役割を「墓標」と定義し、爆心地の公園に建立された観音像の分析を行う。

墓地とも関わりの深い仏像は、家族や友人など顔を思い出すことのできる死者を記憶し、慰霊するために立てられることが多く、「墓標」としての役割が強いが、仏像の中でも観音像は、近代的な思想の中で神聖化された「母性」の象徴とされることでモニュメンタルな意味を持つことがある。近代的な「母性」の象徴としての観音は、「軍国主義」に対して「新しい国家」のアレゴリーとして捉えられ、「平和」の象徴となった。つまり観音像には、「墓標」と「モニュメント」双方の意味が内在されているのである。

原爆によって一瞬にして焼け野原となった広島と長崎の爆心地付近は公園として整備され、毎年8月には大規模な平和記念式典が行われている。行政によって作られた公園は、原爆災禍の記憶を伝える巨大な「モニュメント」ともいえる。しかし、公園となっている場所は、多くの人々の命が失われた場所であり、式典が行われる日は彼らの命日である。

式典当日、公園内の観音像の参拝者から聞き取り調査をおこなった結果、観音像によって原爆で亡くなった親族の記憶や、かつての暮らしの記憶が思い出されていることが明らかになった。公園という公共空間の観音像も、その場所の記憶や遺骨との関係性によって、個人的な死者の記憶を想起させる「墓標」の意味を含んでいる。しかし、碑文によって説明を行なう「原爆碑」とは異なり、観音像のもつ意味は変化しやすいため、対面的な死者の記憶をもつ人間がいなくなった時、その意味が変化すると考えられる。