総研大 文化科学研究

論文要旨

『徒然草』の中文訳と漢文訳

総合研究大学院大学 文化科学研究科 日本文学研究専攻  黄   昱

キーワード:

徒然草、漢訳、中国語、翻訳、周作人、郁達夫

『徒然草』が漢籍から受けた影響は、文章レベルに止まらず、その思想内容にまで及んでいることは今までの研究において議論されてきたことである。まず『徒然草』が広く読まれていた江戸時代には、本書と漢籍との関係が注目された。『徒然草』最初の注釈書である『徒然草寿命院抄』は、『徒然草』を儒釈道の三教を兼備する書物として捉え、和文でありながら、漢籍的な要素が強い書物とした。江戸中期頃から、『大東世語』『本朝遯史』といった人物伝記や、『明霞先生遺稿』『作文率』といった漢文作品集、さらに、異種『蒙求』といった幼学書に『徒然草』が漢訳されたのは、本書に内在する漢籍的な要素が然らしめたところと言えるだろう。一方、近代の中国では、民国時代から、周作人や郁達夫といった日本文化に心を寄せた文人たちが『徒然草』を中文に訳し、また、一九八〇年代以降、日本の古典文学作品が大陸で盛んに翻訳される中、『徒然草』も五種類の全訳本が刊行されるに至っている。

本稿はこのような日中における『徒然草』の漢文訳と中文訳の状況の比較分析を目的とする。具体的には、主に周作人以降の『徒然草』の中文訳を中心に分析し、これらの翻訳にあたっての章段の取捨選択の意図と、訳文の文体・表現の特徴を考察した。一九二五年に周作人が『徒然草』の中から十四の章段を選んで翻訳し、彼が加えた小引(序)・附記(跋)と訳文を考察した。さらに、彼のほかの作品における『徒然草』についての言説を考えることによって、彼の翻訳手法と『徒然草』観を明らかにした。

また、一九三六年に周作人と同じく日本文化に関心を持つ著名な小説家郁達夫も『徒然草』から七章段を選訳し、本書が「東方固有思想を代表するに値する哲学書」であると絶賛した。

その後、一九八〇年代以降、五種類の『徒然草』中文訳も登場したが、本稿は周作人訳と郁達夫訳とこれら現代の中文訳とを比較し、『徒然草』が中文に翻訳される時の特徴と問題点を示した。

最後に、江戸・明治期の漢文基礎教養書である異種『蒙求』に見られる『徒然草』の漢文訳とこれらの中文訳との比較に触れた。『徒然草』は日本と中国の文人の間で愛読され、翻訳されていたが、両者の訳述の異同を分析する作業を通して、日本と中国での本書に対する認識の差を確認し、『徒然草』の漢籍的な要素がさらに明確になったと言える。