総研大 文化科学研究

論文要旨

第18号(2022)

変化する金魚養殖の技法

―奈良県大和郡山市の事例を中心に―

総合研究大学院大学 文化科学研究科 地域文化学専攻  新海 拓郎

キーワード:

金魚養殖、大和郡山、技法、都市化、近代化、生産品種の転換

これまで民俗学において養殖業は漁撈に比べて扱われる機会が少なかった。そこで、本稿は内水面養殖の一例として、奈良県大和郡山市で行われる金魚養殖を対象とした。明治期から現在に至るまでの金魚の養殖業の中で変化してきた技法について明らかにする。大和郡山は全国有数の金魚の産地で、ため池を利用したワキン(和金)の大量生産が中心となっている。そこで、本研究では、文献資料と古老からの聞き取りから得られた情報をもとに双方の比較を行い、技法の変化の内容と要因を明らかにした。

本稿では、産卵藻、初期餌料の確保、金魚の養成、運搬方法に着目した。まず、産卵藻についてはその原料である柳の根が高度経済成長期の河川改修の増加によって入手が困難になった。そして、周辺山地に自生するヒカゲノカズラというシダ植物へと代替していった。初期餌料の確保にはかつては赤子すくい(ミジンコ捕り)という方法が用いられていた。また、金魚の養成では「ヨリコ」(選り子)さんと呼ばれる女性たちによる選別作業は現在見られなくなってしまった。運搬方法は重ね桶から酸素詰めのビニール袋へと変化してきた。

これらの変化の大きな外的要因は3点挙げられる。まず、大和郡山の都市化による環境の変化は柳の根からヒカゲノカズラへと産卵藻の原料の変化をもたらした。次に、近代化による技術の発達は運搬方法を変化させた。そして、生産品種の転換によるコスト削減(人件費削減)によって赤子すくいやヨリコさんの選別作業は見られなくなった。このように、様々な要因によって大和郡山の金魚養殖に関する技法は変化してきたといえよう。