総研大 文化科学研究

論文要旨

第19号(2023)

芝全交作『通一声女暫』考

―吉原俄に着目して―

総合研究大学院大学 文化科学研究科 日本文学研究専攻  高須賀 萌

キーワード:

芝全交、草双紙、黄表紙、俄、吉原

芝全交は、安永九年から寛政五(一七八〇~一七九三)年にかけて活躍した黄表紙作者である。活動二年目にあたる天明元(一七八一)年には八作の黄表紙を鶴屋から出板している。このことからは、黄表紙作家としての活動意欲や、鶴屋からの期待がうかがえ、全交の活動を研究するにあたっても注目すべき年である。

この天明元年に鶴屋から出板された黄表紙の一つが『通 一 声 女 暫つうのひとこえおんなのしばらく』(芝全交作・〔北尾重政〕画)である。先行研究において棚橋正博氏は、『日本古典文学大辞典』第四巻(一九八四年)で「遊里を舞台にした華々しさの反面、筋運びに荒さや飛躍がみられ」ると評価されている。しかし、演劇の場面を茶番仕立てや素人狂言と捉えており、最終丁に見える「俄」についての言及はない。これに対し、本稿は作中に描かれる吉原俄の利用方法に注目し、他作者の黄表紙における俄の描かれ方と比較・検討することで、本作を再評価するものである。

ここでの俄は、当時吉原において春の桜、夏の灯籠と並んで秋に行われた三大景物の一つを指す。その様相は、元来の即興的で滑稽な俄とは異なり、計画的で華やかな催しであった。本稿で取り上げる黄表紙はいずれも吉原に俄が定着した安永年間(一七七二~一七八一)以降に出板された作品である。

『通一声女暫』では、景物としての形式そのものを黄表紙という媒体に落とし込む形で俄を利用している。これによって、様々な演劇の場面を吉原の各地で演じられた一幕として読者に認識させるという、話の展開とは別次元のメタ構造を有している。よって本作は、話の展開のみに注目するのではなく、様々な演劇の場面を視覚的に楽しむという点に重きを置いて鑑賞するべき作品であるといえる。

一方、他の作者の黄表紙において、俄の利用は部分的なものであり、吉原を表象する具体例の一つとしての利用に過ぎない。後続の黄表紙への直接的な影響こそ認められないものの、俄を全交が逸早く流行として捉えていたこと、それをさらに、黄表紙の形式に落とし込むという独自の形で表現したことは高く評価すべきである。

全交が天明元年に出板した黄表紙の内、六作は作中に様々な趣向を利用して構成されているが、その中に、他の黄表紙作者が多用する傾向にある荒唐無稽な展開に比較的簡単に落ちを取ることが可能な夢落ちの趣向が使われた作品はない。これは、黄表紙に求められる当世性を表すとともに、安易な落ちに変化をつけるための全交の試行錯誤だったとも捉えられる。この年の工夫が、全交の代表作とされる『大悲千禄本』(天明五〈一七八五〉)を生み出す上での呼び水になったとも考えられる。