総研大 文化科学研究

論文要旨

第20号(2024)

1611年におけるオランダ東インド会社使節
ピーテル・セーヘルス日本派遣の背景

総合研究大学院大学 文化科学研究科 日本歴史研究専攻 クレインス 桂子

キーワード:

オランダ東インド会社、ピーテル・セーヘルス、ピーテル・ボット、ジャック・スペックス、ブラック号、日蘭関係

本稿の目的は、1611年にオランダ東インド会社の使節ピーテル・セーヘルスとブラック号が日本に派遣された背景を実証的に探究し、日蘭関係草創期におけるオランダ側の対日方針の一端を明らかにすることである。

先行研究では、セーヘルスとブラック号の日本来航の背景について、直前の寄港地パタニ以前にまで遡った検討がなされてこなかった。そのため、ブラック号日本派遣の背景要因とその決定主体や日本派遣使節としてのセーヘルスの立場と役割については不明瞭なままであった。

本稿では、まず、セーヘルスの置かれた環境を把握するために、オランダとスペインの敵対関係を振り返ったのちに、日本派遣直前のアジア海域におけるオランダ艦隊の動向を辿り、オランダ側の状況把握に努めた。当時のオランダの関心はモルッカ諸島に集中しており、その領有をめぐってスペイン艦隊との戦闘が展開するなか、フィリピン海域でのオランダ側の敗北を受け、セーヘルスがパタニのオランダ商館へ逃れるという状況であったことを確認した。

次に、セーヘルスが来日前にパタニで記した3通の書状の内容を吟味し、オランダ側の日本に対する認識を検討した。それらの書状の内容から、マニラ湾海域での活動中に複数の日本人と邂逅した当事者としてのセーヘルスにとって、日本は未知の国ではなく、僚船による日本貿易獲得と商館設立や日本の君主の貿易姿勢などの情報を得ていたことを確認した。

さらに、ブラック号とセーヘルス日本派遣に至るオランダ側の背景事情を解明するために、初代東インド会社総督としてオランダから派遣されたピーテル・ボットがバンタムに到着した直後に作成された総督及び評議委員会による1611年1月11日付決議録に含まれる関連記述を検討した。決議録からは、セーヘルスの日本派遣は当時の東インド会社のアジアにおける本拠地バンタムの上層部による決定事項であったこと、バンタム本部において日本渡航の必要性が認識されていたこと、日本貿易と現地商館の状況を把握するための情報収集が派遣の目的であったことが明らかとなった。

最後に、オランダ本国の十七人会から総督に与えられた1609年11月27日付指示書に遡って検討し、同指示書に日本派遣の決議につながる指示が含まれていることを確認した。バンタム本部における日本派遣の決議は、十七人会からの貿易体制調査の指示を受けた現場での判断に基づく対応であったと考えられることを指摘した。