総研大 文化科学研究

論文要旨

第20号(2024)

「熊野の道」の歴史を実践する

―世界遺産「大峯奥駈道」の担い手団体
「新宮山彦ぐるーぷ」を事例として

総合研究大学院大学 文化科学研究科 比較文化学専攻 山本 恭正

キーワード:

新宮山彦ぐるーぷ、歴史実践、世界遺産、地域社会、大峯奥駈道、修験道

本研究は、歴史の専門家ではない普通の人びとによって構成される登山団体「新宮山彦ぐるーぷ」が、「熊野の道」を整備することによって、熊野の信仰の歴史の一端を「道」という形で可視化させ、地域社会において共有されるようになるまでの過程を明らかにする。また、新宮山彦ぐるーぷが主導して再生した大峯奥駈道の現代史の意味と価値を論述し、歴史学の分野における知識生産と社会実践の在り方について考察する。そして、フィールド研究を通して、歴史学の成果を参照しつつ、新宮山彦ぐるーぷの活動をパブリック・ヒストリーの視点から民族誌的に記述する。

パブリック・ヒストリーの第一の眼目は、歴史学の「場」の開放であるとされ、歴史学を応用する多様な現場へと広く開かれてきたが、その「場」の営利、非営利という目的の違いは問われない。世界遺産の「熊野の道」である大峯奥駈道の南半分のコースは、修験者や登山者が歩くことによって、近年、創出された「道」とされている。「道」の担い手は、和歌山県新宮市に拠点を置く新宮山彦ぐるーぷという登山団体で、その実践は、「熊野の道」の歴史に関わりたいと願う人びとの参画を受け入れながら、幅広く展開されてきた。

本稿が他のパブリック・ヒストリーの先行研究と比べて特徴的である点は、担い手が「道」で歴史を作ることや、「道」を文化遺産にするといった目的とは一線を引いて、自分たちの活動をあまり公にせず、あくまで登山活動の一環として活動している点である。結果的に、後年、文化的、歴史的な事象として地域社会から受け止められることになるが、歴史学の分野で何らかの訓練を受けた人びとと協働して、「道」のプロジェクトを成し遂げてきたわけではない。「熊野の歴史や文化、生き方を究める」という理念の下で、当初は民間だけで活動が展開されてきた。現在においても彼らの実践を介した現代史は、世界遺産を含む学術的な報告書や歴史書のなかでの記述(記録)、評価がなされていない。

本稿では、新宮山彦ぐるーぷが担ってきた「道」の歴史や地域社会にとっての意味が、世界遺産リストへの記載とともに紡がれてきた「公式な」歴史と相互に影響を与え合い、補完し合う関係に着目して論述する。また、両者の歴史を対話させ、世界遺産としての「熊野の道」の歴史を考察し、フィールド研究の立場から現代史を紡ぐ方法論を提示する。