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学生派遣事業 研究成果レポート

SEVILLA, Anton Luis Capistrano(国際日本研究専攻)

1.事業実施の目的

主にクイーンズランド大学で行われた「Perspectives on Progress」を題とする国際会議に参加し、和辻哲郎の歴史倫理学について発表し、学科の訪問において研究相談をために実施した

2.実施場所

The University of Queensland, Brisbane, Australia

3.実施期日

平成25年11月24日(日)から12月2日(月)

4.成果報告

●事業の概要

 参加した国際会議では「進歩(Progress)」を巡って様々な議論が行われた。「歴史には進歩があるか。進歩をどう定義すべきか。この定義自身が如何に変わってきたか。」これらの疑問を巡って、歴史学・政治学・哲学・社会学・人類学・古典学などの学者が、学際的な議論でこの概念の理解を深めた。
 26日には「大学の未来」という講演が行われた。この講演において、五人の先生が様々な観点から、大学の「進歩」を考察した。D’Agostino教授は、大学の批判的な機能と社会における重要性を説いた。Blanshard教授は大学の体系の「偶然性」について話し、ポストモダンにおける大学の変化を語った。Bonnell教授も教師の仕事の変化を描写した。ByrnesとTurner教授は大学、特に人文学の変化と危機について語って、教育の商業化を強く批判した。申請者も教育者であるため、以上の話は自身にとっても内省を試みさせるものとなった。
 27日にByrnes教授がニュージーランドとオーストラリアの侵略を題材に、進歩・不正義の忘却の相互関係を興味深く論じた。講演の後は、三つのセッションに出席した。一つは「進歩の政治」であった。もう一つは「人類的技術(Human Technology)」であり、Davies氏が倫理学と無生物の世界との関係を検討した。和辻の風土論と関連できるため、様々な研究交流を試みることができた。Jordan氏も「ポスト人類(Post-human)」の話をして、人間の内面的な世界にたいする技術の貢献を興味深く論じた。三つ目は「ジェンダーと言説」で、現代のジェンダーの問題について考えさせていただく。
 28日はBlanshard教授の講演から始まった。教授が古代の進歩観について語って悲観主義と進歩の繋がりを論じた。その後、三つのセッションに出席した。一つは「進歩の再読」であり、Herbert氏がRevisionist Historicismという方法について語り、如何にして歴史の主流な言説から排除された人びとの物語を取り戻せるかを、発表した。和辻の歴史観に近いので、興味深く思った。もう一つは「古代進歩の再解釈」というセッションであった。そして最後に「社会理論」のセッションがあった。特に重要なのはVincent氏の社会批判のメカニズムの発表と、Gibson氏のフランクフルト学派の紹介であった。後者はヘーゲル・マルクスなどの歴史観を説明していたので、和辻の歴史哲学の位置づけのためにとても参考になった。その夜、Hesketh先生の進化論のエピックについて講演があった。申請者は進化論は現代の新しい形而上学になっている証ではないかと個人的に思っている。そこで宗教と近代合理主義の「形而上学」を捨てても、結局新しい形而上学を構築しているのではないかという疑問を持つようになった。
 29日には二つのセッションに出席した。一つは申請者自身の発表のセッションであった。Smits氏も世界平和と感情的な安定について発表し、心理学・政治学・哲学の繋がりを興味深く論じた。そしてもう一つのセッションは「進歩の合理化」で、Dart氏が政治哲学の進歩を説明して下さった。この学会の終わりとして、Pinto教授が民族の間の調停・調和と進歩について合議を行った。日本の政治的現状に類似性があるため、興味深く思った。
 30日にThe Centre for Critical and Cultural StudiesとThe School of History, Philosophy, Religion and Classicsを訪問し、D’Agostino、Hesketh、とPinto教授と研究相談をした。主に歴史哲学の大まかな概論、ポストモダンにおける「進歩」に対する疑問、形而上学と進歩の相互関係などについて相談した。和辻が良く知られていなかったため、申請者から少し紹介することになったが、様々な面白い相違点が見つかった。

●学会発表について

 申請者は「和辻の歴史的倫理学―国民道徳と普遍道徳の間」というタイトルで発表をした。この発表において、最初は和辻哲郎を簡単に紹介した。聴講者には和辻を知らない人が多かったため、分かりやすく和辻倫理学を紹介しようとし、主に個別性と全体性の二重構造・否定的関係・空の循環という基本概念をもって、その倫理学の概要を説明した。
 次は和辻の『倫理学』下巻を中心とし、和辻の「歴史的倫理学」について述べた。「歴史」と『倫理学』上巻で論じられた「時間性」の繋がりをはじめとし、如何にして一つの民族(=国民=国家)の歴史が倫理的な行動によって形成され、それが倫理的な価値をもって理解され、学問としての倫理学を形成していくかを論じた。そこで、和辻倫理学における倫理と歴史の相互関係を解明した。
 しかし、この説明によって新しい問題が出て来る。なぜなら、歴史を一つの民族の発展とすれば、そしてその民族は風土的に歴史的に特殊的であるとするならば、倫理学も文化的に特殊になってしまうからである。だが、和辻の「国民道徳論」・「国民道徳と普遍道徳」などを見れば、和辻は国民道徳と普遍道徳の論争の、二項対立を超えようとしたことが分かる。普遍道徳に根ざしていない国民道徳は無意味であると批判しながら、国民道徳を通じてしか普遍道徳は現われてこないと和辻は論じている。すなわち、国民道徳は必ず普遍的な原理を実現しようとするが、その実現は風土的・歴史的に特殊的にならざるを得ないのである。
 そこで、その民族の歴史と他の民族との関係、すなわち国際的歴史を検討した。一つの国民の自覚は、必ず他の国民との対話・衝突によって得られた。そこで、「一つの人類」という理念が自覚され、進歩の本当の規範が意識されてきた。しかし、この一つの人類を戦争・帝国によって実現しようとすると、文化的な個性の豊かさが失われるため、本当の「一つの人類」は、世界の統一と国民の個性の発揮の弁証法的ジンテーゼでなければならないことが分かる。
 この原理をもって、「国民の当為」が説明される。すなわち、あらゆる国民国家は強い人倫になり、自分の文化の個性を十分に自覚しなければならない。しかし、国の統一に留まらず、この自覚をもとに他の国民国家と交流し、協力し、相互貢献をしなければならない。こういう国際的秩序ができなければ、一つの人類は実現できないと和辻は強調している。
 この発表における結論としては、以下のポイントが挙げられる。一、和辻はエゴの否定に基づいて倫理学を構築しようとした。二、そこで、有限的な全体性を必要とした。三、国民道徳と普遍道徳を止揚し調和させた。四、歴史に倫理学的な原理を置いた。五、この原理が空であるため、ロゴス・有・神・自由などの根本原理と違う弁証法的な歴史観が可能になった。
 質疑応答では、国民国家の境界線を越える環境問題を如何にして考えるべきか、功利主義を拒否した無我の倫理学と国際政治の世俗主義の衝突をどう解決すべきかなど、非常に興味深い質問が多く、様々な刺激をいただいた。これからこの様々な問題について深く検討させていただきたい。

●本事業の実施によって得られた成果

 本事業の実施によって、和辻の歴史哲学を深く考察する機会をいただいた。発表自身、そしてその前の準備とその後のコメントによって、和辻が何を考えてきたかを良く整理し、再検討することができた。これは博士論文の第二篇の中心部になるため、非常に重要な成果であろう。もう一つはこの学会とその後の研究相談において、歴史哲学の全体をおよそ把握できるようになったことである。和辻の特徴―歴史の根本原理としての空、二重否定と対立など―が明確になってきた。和辻とヘーゲル・マルクス・フランクフルト学派はもちろん、和辻の風土論と現代の技術哲学の繋がりも見えて来たので、将来発表できる内容になりうると思われる。最後に、オーストラリアにおいて和辻哲学だけではなく、日本哲学自体がよく知られていないので、日本哲学を海外の若手研究者に紹介するものとして、この発表に意義がある。

●本事業について

 本事業のお蔭で、海外の学会参加及び発表ができ、とても有難く存じる。貴重な経験・研究成果をいただけたことを、心から感謝している。個人的な意見であるが、このような国際的・学際的な経験は文化と分野の「壁」を突破し、学者として、更に人間としての「解放」を味わわせる機会として非常に重要であると思うので、是非他の若手研究者にもこういう経験をしてほしい。