国内外フィールドワーク等派遣事業 研究成果レポート





八巻惠子(比較文化学専攻)
 
1.事業実施の目的 【h.海外フィールドワーク派遣事業】
  在香港航空会社に勤務する日本人客室乗務員たちの越境労働についての面接調査
2.実施場所
  香港
3.実施期日
  平成18年11月6日(月)~平成18年11月19日(日)
4.事業の概要
   本研究は、人、もの、金、情報などが地球規模で流動するグローバリゼーションを推進する主体としての企業に着目し、その中で日常生活を営む人々の越境労働の有り様を、今日の常人の姿としてとらえようとするものである。近代文明の装置である企業は、資本主義の発展と共にその活動空間も、市場も、地球全体へと広がり、企業間の熾烈な競争はすでにローカルなものでなくなった。企業組織を構成する従業員の日常は、生活の場にしばられるものではなくなり、労働市場さえ越境して広がっている。本事業の目的は、グローバル企業の組織構成員の、仕事に関する言説の聞き取り調査で、多文化混在の越境サラリーマンらが生成させる新しい文化の創造を明らかにしようとするためのフィールドワークである。

 本事業の調査フィールドは中国特別地区香港で、調査対象の業は香港に本拠地を置く国際線航空会社、Cathay Pacific Airways Ltd.(C.P.A.)である。当該企業は1946年、英国領香港にアメリカ人とオーストラリア人の事業家によって設立され、1948年から中国返還後の今日も、大株主は英国の貿易会社である。英国植民地時代には、経営責任を担う代表メンバーはイギリス人で占められていたが、現在は株主代表を除く11人のうち4名が中国名の管理者である。
本事業の主となる活動は面接調査で、インフォーマントはC.P.Aに客室乗務員として勤務する日本人従業員である。彼らは日本で採用試験を受け、香港に渡航就労している。その勤務の実態は、アジア最大のハブ空港である香港空港を本拠地に、日々世界各地へと移動するものである。調査は当該航空会社の本拠地がある香港空港周辺一帯と、その中にある「シティ」と呼ばれる本社ビル群の中の、特に乗務員らが業務のために出入りする特別区域で、乗務員らが事実上の出入国審査を行うバーチャルな越境領域を中心に、彼らの居住エリアや通勤ルートを移動しながら行った。

 調査者は自らも航空会社の勤務者であり、また調査フィールドの会社にかつて勤務していた経験から深い人脈ネットワークを持っていたため、たびたび会社内に入る許可申請も通すことができ、またシティ内部の関係者以外立ち入り禁止区域にも、乗務員とほぼ同様に行動することができた。企業内図書館の文献貸し出しやイントラネットの閲覧、質問紙の配布回収も、インフォーマントらの協力によって行うことができた。

5.本事業の実施によって得られた成果
 本研究調査の報告は、2007年3月のTHE JAPAN ANTHROPOLOGY WORKSHOP (JAWS)
18th Conference、University of Osloにて、天理大学の住原則也教授のパネル、Multi-aspects of hands(te) in Japanese culture: what hands represent in person-to-person and person-to-materials relationsの中で、 国立民族学博物館の中牧弘允教授、林勲男教授、日本大学の三井泉教授(経営学)らのグループメンバーの一人として、‘Te wo Kakeru’ Work and ‘Te ga Kakaru’ Work: Transnational Work of Japanese Cabin Attendants in ‘D Airlines’というタイトルで研究発表することになっている。本パネルは、「日本人と手」をテーマにしたものであり、報告には本事業の面接調査の中で得られたデータを用いる。具体的には、越境労働者であるインフォーマントらの仕事についての語りを分析し、インフォーマントらが、どんな仕事は自ら積極的に手を掛けてやりたいと考えているのか、またどんな仕事は手が掛かって嫌だと考えているのか、彼らの語りの中で「手」は何を意味し、「手」や「手」の表現を用いてどのような仕事の実践があり、どのような価値基準を大切に考えているのか、グローバル化における新しいサラリーマン文化の生成の視点から報告する。

 さらに本調査の分析は、「仕事の人類学的研究」の事例報告として、2007年6月の日本文化人類学会第41回研究大会で発表を予定している。グローバリゼーションの労働市場の越境への広がりをチャンスとして利用し、自らの意志で国を離れて越境で仕事をすることを選んだインフォーマントらが、越境労働の何を魅力に感じて仕事をしているのか、越境の仕事においては何が難しいと考えているのか、仕事を通じて経験し蓄積されていく社会的価値観やキャリア観、自国との距離を常に一定的に取ながら越境し移動する職業生活のライフプランについて、彼らの語りを通じて分析し、報告をする。

 本事業を行ったことにおいて最も大きな成果は、フィールドワークにおける客観性についての気づきである。本調査地は、博士論文の中で主となる調査地の比較対象となる第二の調査地である。本調査地における面接調査と分析は、博士論文の中で一つの章を構成する予定である。

 双方の調査地の中で、調査者は同じ職業を持つ越境労働者に対して、同じ質問による面接調査を行ってきた。しかしながら両調査においては大きな相違点が一つある。それは、主となる調査地の中では調査者はインサイダーであるが、このたびの本事業で実施したフィールドワークは、かつてインサイダーであったという過去の接点を通じて調査を行ったものである。つまり調査者と調査対象者との元々の関係が二つのフィールドで異なっているのである。

 本事業を利用して、インサイダーではない立場で全く同じ調査をやってみた結果、逆説的ながら、インサイダーとして調査をする立場との比較において、フィールドの中で見えることや聞こえるものに対する認知の違いを痛感した。この体験は実際に調査をやるまで想像もしていなかったことであり、結果論として文化人類学的調査の客観性という根本的課題に触れることとなった。調査者は、インサイダー調査として博士論文を作成すると決めたときから、調査の客観性の課題は常に念頭にあったが、その難しさの反面、インサイダーでしかできない調査が確実にあるということも自覚しており、近代文明の装置である企業という、これまでにあまり文化人類学者が注目してこなかった文化を明らかにすることを目的として、その立場を最大限に生かし、論文作成を目指そうとするポリシーは一貫している。しかしながら、この調査を通じて改めてこの課題と真摯に対峙する機会を得られたことは、心機一転とも言える体験であり、大きな収穫であった。「文化の中から文化を語る」実践を成功させるためにも、調査者の立場が異なる同じ調査という相対的な調査が実践できたという点においては、思いがけない大きな成果が得られたと考えている。

6.本事業について
 

 海外フィールドワーク事業の2週間は、文化人類学的フィールドワークとしては短期間であり、経済的支援も限定的ではあるが、多くの学生が参加機会を持てる裾野の広い事業である点で評価ができる。当初は事業の目的がわかりにくく、参加者の活動内容も理解されにくいものも目に付いたが、参加者数の増加につれて今や事業の認知は広がったと考える。イニシアティブ事業に係わっている学生から直接説明を聴かなければ事業の内容や実態がわかりにくかったという点に置いては、わかりやすい広報活動があったとは思いにくい。申請時には学生レベルで非常に情報が混乱していた。
 本事業の申請時に、本事業による調査報告を海外で発表することがすでに決まっていたが、本事業が期間限定的なものであり、発表は事業期間終了の数週間後であったため、これについては支援を受けられなかったことはとても残念である。学生にとっては一つの継続的な研究活動なので、単純に年度で区切らず、フレキシブルに対応していただけるとありがたい。今後も多くの学生が参加できる事業として、継続されることを希望する。

 
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