国内外フィールドワーク等派遣事業 研究成果レポート





小谷幸子(比較文化学専攻)
    
1.事業実施の目的 【h.海外フィールドワーク派遣事業】
   博士論文執筆のための現地調査
2.実施場所
  アメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコ市
3.実施期日
  平成18年4月10日(月) ~ 平成18年5月11日(木)
4.事業の概要
   報告者はこれまで、米国カリフォルニア州サンフランシスコ市において日本町と呼ばれる都市街区をフィールドとして、主に日系有力者による都市保存を通じた歴史・文化継承運動と、そのような運動との関わりがあまり見受けられない韓国系の商店主、住民の関わりに着目して、現代エスニックタウンをめぐる多文化交錯的な日常性と記憶に関する都市人類学的調査をおこなってきた。本調査の舞台であるサンフランシスコ日本町は全米に現存する三つのジャパンタウンのうちのひとつであり、残り二つのジャパンタウンと同じく、世代が進み自営業離れが進む日系移民出身者の穴を埋めるように、近年、韓国からの移民出身者をはじめとする非日系ビジネスの進出と拡大がみられる。また日本町の近隣には、行政からの家賃補助のある高齢者用アパートがいくつかあり、そこに居住しながら日本町にある日系高齢者福祉施設のサービスや相談を受けに来る韓国系移民高齢者も少なくない。このような傾向に連動して、近年、多文化主義を掲げるサンフランシスコ市政を巻き込みながら、日本町保護運動の名のもとに、失われつつある旧日系人集住地区としての歴史性を継承するための方策が模索されている。上記のような背景のもとで、サンフランシスコ日本町は今年2006年に百周年を迎えた。そして、相次いで記念諸行事の開催や刊行物の発行が企画されるなかで、この場所をめぐる歴史性や記憶が改めて注目を浴びている。

  今回の調査の目的は、このようなサンフランシスコ日本町という特定の場所を介した日系史再解釈のプロセスが、今日の日本町の現実的な日常性を支える非日系的、多文化的な要素とどのような相互関係をもちつつ編み出されていくのかについて明らかにすることであった。具体的には、4月15~16日、22~23日にかけて日本町でおこなわれた記念行事のひとつであるCherry Blossom Festival(桜祭り)を中心としてフィールドワークをおこない、この祭りの場における韓国系の人びとの関与のありようや記憶創出のかたちを探るべく、資料収集、聞き取り、参与観察をおこなった。また、本派遣事業による調査を博士論文執筆に向けての最終の現地調査として位置づけていたため、これまでの調査を補完するような意味合いをもつインタビューや資料収集なども補足的におこなった。特に、今年の桜祭りの共同実行委員長のひとりであり、長年、日本町の商店会長をつとめてきた日系企業家であるM氏に対しては、ライフヒストリーという手法を使って、異文化の架け橋としての企業家の役割について考察する研究を継続しており、今回もインタビューをおこなった。

5.本事業の実施によって得られた成果
本事業を通じて、百周年を迎えたサンフランシスコ日本町の桜祭りの日程に合わせて、時宜を得たフィールドワークをおこなえたことは、とりわけ以下の3点において、報告者の博士論文研究および今後の研究活動にとって大変有意義な成果をもたらした。 (1) 博士論文の結論を考えるうえで意義深い調査ができた。
今回の調査の結果、現在のサンフランシスコ日本町において、桜祭りを含む百周年記念諸行事の実質的な企画・運営のプロセスにかかわっているメンバーのなかに韓国系の人びとは含まれていなかった。しかしながら、だからといって、韓国系の人びとが桜祭りを介したサンフランシスコ日本町の記憶創出の場に関与していないというわけではなかった。桜祭りにやってくるお客相手に商売をし、桜祭り特集を組む日系のコミュニティ新聞に「祝・桜祭り」と広告を出す韓国系の商店がある一方、ボランティアとして、祭りを楽しむ一般客として桜祭りにやってくる人びとがいた。また、調査期間中には過去40年にわたり日本町の主要な不動産所有者であった日系資本の近鉄アメリカが撤退するという予想外の出来事が重なり、博士論文に示唆的な方向性を与えてくれた。今回の調査の成果については、その一部を今年6月10日に東京大学でおこなわれる韓国・朝鮮文化研究会で発表し、整理したものを『韓国朝鮮の文化と社会』に投稿予定である。

(2) サンフランシスコ州立大学の教官や学生と意義深い学術交流の場がもてた。
今回の派遣事業の受け入れを引き受けてくださったサンフランシスコ州立大学、アジア系アメリカ人研究学部のBen Kobashigawa教授および先生の指導院生とは、報告者の研究内容に関して率直で有益な意見交換の場をもつことができ、ともすれば自分のこだわりに埋没してしまいがちな研究をより広い視野で見直すことができた。さらに、博士課程修了後の研究の発展の可能性や進路に関する情報提供までしてくださったことに大変感謝するとともに、研究者としてのネットワークが広がったことを喜ばしく思う次第である。

(3) 日系企業家M氏への補足インタビューを通して投稿論文につながる知見を得られた。
事業の概要において前述のM氏には、今回、桜祭りを通じてインタビューの場に限定されない参与観察やラポール構築の機会に恵まれたことによって、これまで以上に奥行きのあるライフヒストリー調査をおこなうことができた。M氏の企業家としての軌跡は、文化へのまなざしを固定化できない多重的で混沌とした内面のせめぎあいや折り合いの物語として語られた。時に葛藤の種として、また時に活力の源として人生の語りに投影されるこのような異文化観が、M氏の経営者としての決断やネットワーク構築の過程に反映されていることも、フィールドワークを通して明らかになった。この研究成果については、本年7月に行われる企業家研究フォーラムの年次大会で発表後、『企業家研究』に論文として投稿することを計画している。

6.本事業について
   人類学的なフィールド調査に対する民間の助成金は、調査のテーマや渡航期間などに一定の条件、制約が設けられていることが多く、報告者のように比較的物価の地域で1ヶ月から3ヶ月単位の調査を積み重ねるスタイルで研究を続ける者にとっては、研究資金獲得に労力をそがれ難しい部分もあった。今回、フィールド先の行事に合わせて4月に渡米したいというこちらの側のかなり強引な要望にもかかわらず、臨機応変に親身な対応をしていただき、希望どおりの調査をおこなえたことは大変ありがたかった。おかげで研究そのものに安心して集中することができ、博士論文研究の最終段階において、このような事業の恩恵を受けられたことに心から感謝の意を表したい。

 
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