国内外研究成果発表等派遣事業 研究成果レポート





松嶋 愛(地域文化学専攻)
 
1.事業実施の目的 【e.国際会議等研究成果発表派遣事業】
  シンポジウムでの発表
2.実施場所
  Institute Europeen en Sciences des Religions
3.実施期日
  平成18年3月21日(木) ~ 平成18年3月23日(土)
4.事業の概要
   会議のタイトルはRepresenting Power in Asia : Legitimising, consecration, contesting「アジアにおける権力の表象」で、3日間にわたって行われた。主催者はSorbonne大、 Ecole Pratique des EtudesのCentre d’etudes mongoles & siberiennesのRoberte Homayon教授であった。
「アジアにおける権力の表象」というタイトルが付いていたが、発表者のほとんどは東北アジア、特にシベリア、モンゴル、中国内内モンゴル地域の社会や歴史を研究の対象としている人ばかりであった。そこでこの地域における権力の表象について以下の6つのセッションで発表と議論がされた。

1. 権力の象徴の形成と命名
2. 権力の歴史の形成
3. 権力の神聖化 1)儀礼によって
2)モノによって
4. 権力の想像的象徴:闘争、先制、ユートピア
5. 死の言及による権力の正当化
6. 権力をめぐる配分と、戦い

 これらのセッションとその中の発表は独立して相互に関係がないわけではなく、それぞれの議論のコンテキストは別のセッションにも連関し充実した内容だったといえる。
申請者のセッションは会議2日目の午前中、セッション3:Consecrating Power「権力の神聖化」の中の第2サブセッション:By things「モノによって」という中で行われた。この中で別の発表者の一人であったIsabelle Charleux氏の発表は内モンゴルの遺跡から発掘されたモンゴルの王族の肖像画などから権力関係を読み解くという興味深いものであった。またそれに対し別の発表者がモンゴルの遊牧生活から理解しうる肖像画の別の側面を指摘するなど、議論が活発に行われた。
Isabelle Charleux氏の発表と同じく、申請者の発表もモノ(建築物とその記憶)によって権力の表象を分析するものであった。
Isabelle Charleux氏は中世についての研究であり、申請者は19世紀末から近現代における研究であった。また、同じセッションの中の儀礼による研究では現代の権力がいかに「伝統化」されるかという、権力がおこなっている手続き=儀礼について、また、その現代の権力の表象がどのように醸成されたかについて、第2次世界大戦時のチンギス・ハーン崇拝の「歴史化」についても報告された。このように申請者の発表セッションではタイトルの「権力の表象」が時代とともにどのような形をとってきたか、また現在もとっているのか、が見通せるような発表の構成になっていた。
5.学会発表について
   申請者の発表タイトルは“Experiencing 20th century architecture and urbanity in Mongolia- representations of construction as propaganda and collective memory within individuals-”「モンゴルにおける20世紀の建築と都市性の経験-プロパガンダとしての建設の表象と個人の中の集合的な記憶」というものであった。

  本発表は20世紀の間のウランバートルに関する人々の認識をウランバートルの建設と建築物の表象から分析するものであった。最初にモンゴルの近代的な都市がどのような要素によって形成されていったのかを前史として述べた。そして次に20世紀の社会主義国家の成立によって「都市」が国家によってどのように映像によって記録され、それが集団的な記憶となるように演出されていったかというプロセスを、モンゴル国立アーカーブに保存されている資料をもとに明らかにした。
 次に人々の実際の都市にまつわる「記憶」に焦点をあてた。それらはインタビューによって得られた事例である。人々の都市にまつわる語りや認識は、実際の出来事や事実とは異なる部分と重なる部分が見られる。その交錯と混合を述べている。特に1905年に建てられた現ザナバザル美術館の建物についての人々の想起を中心に、事実と認識の差を指摘し、その差が意味するものを示した。
そして国家、非国家的な都市にまつわるリアリティの形成と生成は相互に関係、補完しあいながら生じていることを結論とした。また、ガバナンスの制度が世界的に変化していることから、今後の権力と都市の表象の関係がどのように変容するかということの可能性を提示した。
 他の参加者からは、人間の記憶がどのように事後に編集されるかということについての、別の事例をもって発表へのコメントを受けた。また、モンゴルの遊牧民が慣れ親しんだゲル(フェルトのテント)の丸い空間から移行して、近代的な方形の集合住宅の受容についての経験に関しての意見を求められた。同じセッションで発表したIsabelle Charleux氏にモンゴル的な建築物をどうとらえているのかについて、申請者のその議論にたいする基本的なスタンスの確認とそれについてのコメントがあった。このコメントと議論は申請者のインタビューの語りの分析をいっそう進めることができ、非常に有益であった。

6.本事業の実施によって得られた成果
 まず、発表をするための準備を進めることにおいて、博士論文の執筆につながる構成、深く考察をするべき点、足りない点などを整理できる機会となった。特に結論を書いている時に、納得できる論理の着地点が見出せなかった。しかし、納得できない点が自分でわかっていて、その上で指導教官にそれを説明し、具体的に問題点を指摘してもらい、結論を導き出すことができたので、博士論文の執筆を進める上で大きな意味があったと思う。このように発表を準備すること自体が良い機会になった。
また、以前申請者が経験していた発表は、モンゴルのことについて知識がほとんどない人に、どのように短時間の発表で、内容を説明し理解を促せるか、という点が重要であり、自分の研究を表現すること、自分で理解しなおす上でも非常に勉強になった。しかし今回はまた別の事が要求される発表であった。参加者のほぼ全員がモンゴル研究の専門家であり、その点が大きな違いである。つまり、自分よりも前提となる知識や、研究者としての経験も豊富な人たちを前にする興味深い発表とは何か、ということを考えなければならなかった。それが結果的に成功したかどうかはわからないが、準備の段階から自己の研究をよく考えるという機会になったことは間違いない。
発表後の意味としては、有益なアドバイスや情報など、また将来にわたる研究の交流の可能性が生じたことである。有益な情報としては申請者の知らなかった新しい資料についての助言があった。また、美術史の専門家からモンゴルのオリジナルな建築とは何か、ということをどのように申請者が考えているかについて質問を受けた。その会話は、申請者にその問題をもう一度建築学的な視座も加えて深く考察するべきだという必要性を認識させた。この質問者は南モンゴルにおける建築に詳しく、申請者は北モンゴルにおける建築について研究しているので、今後の研究の交流についても話ができた。名前しか知らなかった関心を共有できる研究者と実際に意見交換をできたことの意味は大きかった。加えて、これらの経験は研究を続ける精神的な刺激ともなった。世界中から集まった同じ世代で若手の優れた研究者たちに会うことは楽しいと思える経験であった。自分の研究の位置がどのようなところにあるのか、他の差は何かということを考える機会になった。
今後は、このシンポジウムの発表らはまとめて主催者であるソルボンヌ大から今秋に刊行されるとのことであり、研究業績ともなる予定である。
以上のようなことから、研究発表を行うことの重要性を認識し、博士論文の執筆に役立つと考えている。

7.本事業について
   申請者は航空券の半額の支給、かつ日本国外からの出発と帰国という、やや特殊な申請であった。それにもかかわらず柔軟に対応し支援してくださった事業に深く感謝している。
  疑問に思った点は3月には航空券代以外が支給されない点である。理由は日本の会計年度の関係であるが、海外の会議に出席する際には3月であっても宿泊費等が必要ないわけではない。申請者は特に今回これが大きな問題とはならなかったのは、フランスの会議主催者側が負担してくれたからである。今後、貴事業を利用して3月に国際会議に出席し発表しようとする学生がいる場合、宿泊費等の経費の高さは大きな負担になるだろうと思った。
  派遣後の報告での必要な記述は、学会発表を行った場合に得られる当たり前の成果と、また非常に個人的にしか役立たない成果の報告であり、他の学生や社会には役に立たないものではないかと思い、なぜこれを書く必要があるのかとよく意味がわからなかった。成果であれば発表の原稿やレジュメが成果そのものであり、それを提出することで成果報告にできればありがたいと思った。社会に広く情報提供するのであれば、感想文的な報告ではなく研究成果で提示したい。これは申請時に明記されていた上、申請者は了承して申請し、派遣されているので、現時点で異議申し立てをすることはできなと了解しているが、派遣の感想文で実名でインターネット上に載せられることも不本意である。国税を使っていることに対する義務なのかもしれないが、自分の積極的な意思によるものではないところで、インターネットに実名が載ることを、不安に感じる人間がいることも考慮してほしいと思った。

 
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