国内外フィールドワーク等派遣事業 研究成果レポート





根津朝彦(日本歴史研究専攻)
 
1.事業実施の目的 【c.国内フィールドワーク派遣事業】
  「風流夢譚」事件の聞書き調査と戦後「論壇」に関する資料収集
2.実施場所
  山梨県立文学館、信州風樹文庫
3.実施期日
  平成18年11月15日(水) から 平成18年11月17日(金)
4.事業の概要
 

 2006年11月15日(水)から同年11月17日(金)にかけて「風流夢譚」事件の聞書き調査と戦後「論壇」に関する資料収集を目的に国内フィールドワーク派遣事業を利用して調査を行った。
  11月15日はまず甲府駅まで向かい、そこからバスで山梨県立文学館に行く。当地では「風流夢譚」事件当時、中央公論社に勤めていた近藤信行山梨県立文学館長に対して聞書きを約2時間行った。主な質問は学生時代、入社の経緯、入社してからの仕事内容、「風流夢譚」事件当時の状況、中央公論社の上司や同僚、深沢七郎等についてである。近藤信行館長(1931年生まれ)は1955年から1976年まで中央公論社に在籍し、『中央公論』、『婦人公論』、『海』などの編集に従事した人物である。
 そして事件当時『中央公論』編集部次長であった京谷秀夫氏が後に同館に寄贈した事件関係資料のスクラップブック2冊等の閲覧と複写を行った。これは京谷氏が退社するときに校閲部のある社員が京谷氏に託した資料で、右翼団体の『帝都日日新聞』から、『週刊新潮』など幅広い当時の事件資料を網羅してあるものである。以前聞書きをした京谷氏に近藤館長への紹介をお願いして今回の調査が実現した。同館が19時まで開館していたので同日中に複写含め目的を果たすことができた。

 11月16日は甲府駅から上諏訪駅に向かい、バスで諏訪市立信州風樹文庫に行く。信州風樹文庫とは1947年以降の「岩波書店が発行する全書籍の寄贈を受け収蔵している国内唯一の文庫」である。午後一杯をかけて風樹文庫に収められている戦後の岩波書店発行のほぼ全書籍の背表紙を閲覧した。文庫勤務者に岩波書店編集者で回想録を残している人がいないか資料関係のことで相談をし、坂口顯、安江良介、秋山豊らの著作などを数点教示してもらう。残念ながら予想よりは少ない数であったものの、そのことを通じて中央公論社との社風の違いに気づけた部分があった。閉館まで「論壇」に関連する資料と岩波書店の社史を重点的に閲覧する。

  11月17日は『世界』の8月号を中心に閲覧・複写した。予想以上に『世界』8月号では戦争に関する記事が多く、ほぼ一貫して読者投稿による戦争認識の捉え返しがなされていることを確認した。戦後岩波書店の経営を支えた小林勇が所持していた保存状態も良い『世界』を複写させてもらう。残念ながら時間が足りず1946年から1968年までの『世界』8月号を複写することで文献調査を終了とした。

5.本事業の実施によって得られた成果
   本調査によって「風流夢譚」事件を中心に資料収集が着実に進んだと言える。京谷秀夫氏寄贈の「風流夢譚」事件関連資料には全国紙や書評紙はもとより『帝都日日新聞』、『日経連タイムス』、『東京新聞』、『週刊新潮』、『アサヒ芸能』など資料の特定並びに収集がしにくい記事についての文献複写を行うことができた。今後それらを精査することで当時事件がどのように受け止められたかについて正確な立体像を再現することが可能となる。
  また、中央公論社に長らく在籍した近藤信行氏からは「風流夢譚」事件前後の社内事情や深沢七郎の人物像に関して様々な聞書きを得ることができた。とりわけ『婦人公論』における浅沼刺殺事件の特集が近藤氏の企画であることがわかった。同誌で近藤氏が様々な女優手記の代筆を行ったことなどの貴重な話もお聞きした。そしてまだ存命で事件に関わりの深い当時在社していた数人の幹部の方のお名前を教えていただいたことで、今後の聞書き調査にも進展が期待できる。

  信州風樹文庫では、改めて戦後「論壇」に存在感を発揮した岩波書店の全貌に触れることができ、中央公論社と岩波書店の社風の差異のようなものをより実感した。岩波書店の編集者の方が回想記は少ないように思われる。それは岩波書店はやはり出版社であり、編集者が一層黒子的な存在であることが要因に考えられる。対する中央公論社は雑誌が長らく中心であり、良い意味でジャーナリスティックであることにより編集者個々人の顔が見えるような印象を受けた。

  岩波書店の社史は『岩波書店五十年』、『岩波書店七十年』、『岩波書店八十年』、『写真でみる岩波書店80年』にまとめられており、同時代の出版史にまで目が配られていて充実した内容で構成されていることを確認した。今後、岩波書店の社史を押さえることで、中央公論社と比較しながら戦後の「論壇」像を多角的に照射できると考える。

  修士論文では検討できなかった戦後「論壇」の戦争責任の認識の変容についての資料収集も精力的に行うことができた。『世界』がこれほどまで敗戦の8月15日を一貫して意識していたとは知らなかったので、これは大きな発見であった。調査後、『中央公論』の目次を見ると『中央公論』は8月号で特別な企画は行っておらず、その対照性は際立つ。本調査で得た『世界』8月号の資料を補助線に今後は全国紙の戦後8月15日社説の分析に重点を置いた論文を執筆する予定である。

6.本事業について
   財政的支援があることで今まで行きづらかった調査地へ行動範囲を広げられることは大変ありがたく、今後もこのような有意義な事業が継続されることを強く願っています。

 
 戻る