国内外フィールドワーク等派遣事業 研究成果レポート





佐久間俊明(日本歴史研究専攻)
 
1.事業実施の目的 【c.国内フィールドワーク派遣事業】
  清沢洌の思想形成 ―井口喜源治の影響を中心に―
2.実施場所
  穂高郷土資料館、碌山美術館、井口喜源治記念館
3.実施期日
  平成18年8月30日(水) から 平成18年9月1日(金)
4.事業の概要
 

 今回の調査は、後期以降に本格的に検討する「清沢洌の思想形成――井口喜源治の影響を中心に――」に向けた予備調査として、清沢の生地穂高で調査を行ったが、その目的は、以下の通りである。

①井口喜源治記念館、碌山美術館、穂高郷土資料館を見学し、井口喜源治の研成義塾を中心とした人々のつながり(Ex.井口、内村鑑三、木下尚江、相馬愛蔵・黒光、荻原碌山、斎藤茂)を調査すること
②穂高における清沢洌の評価を明らかにすること
③研成義塾跡など清沢洌ゆかりの史跡や穂高の歴史と風土を調査すること

  初日は、午後から井口喜源治記念館にて、井口喜源治の研成義塾に関する展示・資料、彼と交友のあった相馬愛蔵・黒光夫妻の遺品などを見学した。また、同記念館発行の資料を購入した。
続いて穂高会館内にある安曇野市穂高図書館にて郷土資料を閲覧した。具体的には、清沢洌顕彰会発行の文献や長野県の教育に関する文献を閲覧した。また、清沢洌顕彰会の動向について調査した。さらに、穂高会館内にある清沢洌の胸像を見学した。

  2日目は、自転車を利用して巡検した。
午前は、碌山美術館を見学した。荻原碌山は、近代日本を代表する彫刻家であり、井口の研成義塾の卒業生でもある。美術館では常設展のほか、夏季特別展示「高村光太郎と荻原碌山の交友」を見学した。
午後からは井口喜源治及び清沢洌関連の史跡を中心にフィールドワークを実施した。具体的なルートは以下の通りである。
研成義塾跡 → 松野求策胸像 →  東光寺 → 等々力家 →相馬愛蔵生家(黒光生家) → 荻原碌山生家 →大王わさび農場 → よろずい川(井口喜源治が研成義塾の塾生を引率して散策した川) → 穂高川 → 穂高駅

  3日目は、安曇野穂高周遊バスを利用して巡検した
午前は、有明美術館を見学した。また、午後からは松尾寺、鐘の鳴る丘集会所、安曇野市穂高郷土資料館を見学した。穂高郷土資料館では清沢を育んだ穂高の歴史と風土について理解することができた。

5.本事業の実施によって得られた成果
  ①井口喜源治記念館発行の資料を入手した。これらの資料は現地においてしか入手できないほか、郷土の人々が井口をどのように評価しているか知りうることができる点において貴重なものであると言えよう。

②安曇野市穂高図書館にて郷土資料の調査を行い、清沢洌顕彰会発行の資料を閲覧するとともに同会の活動(Ex.研究会活動、記念誌発行、清沢洌胸像の制作)について知り得た。今後は同会を中心に地域に根差した研究団体とも連携しながら研究を進めることにしたい。

③穂高における清沢洌の位置づけが、研成義塾に学んで活躍した井口喜源治の教え子であることが明 らかになった。

④研成義塾跡、相馬愛蔵生家、荻原碌山生家、万水川(井口と生徒が散策した川)の調査を通じてそ れらの位置関係を把握できたこと。

⑤高村光太郎と荻原碌山の交友について両者の彫刻作品も含めて知り得た。

  以上の成果を踏まえて、博士論文の重要な一部となる「清沢洌の思想形成――井口喜源治の影響を中心に――」について以下のように本格的に研究することにしたい。
清沢洌の自由主義思想(「フレーム・オブ・マインド」)の経験的根本を探るためには、彼の思想形成について明らかにする必要がある。しかし、清沢の思想形成期(報告者は、アメリカから帰国する1918年までと考えている)に関しては他の時期と比べ史料が少なく、研究が十分に進んでいないのが現状である。

  本研究は、清沢の思想形成期、とりわけ、渡米する1906年までを検討するものであり、具体的な課題は以下の通りである。

①井口喜源治の教育観、及び研成義塾の教育について報告者なりの見取り図を提示すること
②清沢洌の思想形成に井口喜源治が与えた影響について明らかにする
  →他の研成義塾生との比較、清沢とキリスト教信仰、研成義塾期の清沢の文筆活動
③併せて清沢洌の思想形成に内村鑑三、山室軍平、木下尚江が与えた影響についても明らかにする

  本調査及びその後研究で得た成果を出来るだけ早く研究論文として公表することを目指したいと考えている。
6.本事業について
   博士論文を作成する上で極めて有益な本事業が、来年度も継続して実施されることを心から希望します。

 
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