国内外フィールドワーク等派遣事業 研究成果レポート





伊藤 悟(地域文化学専攻)
  

1.事業実施の目的 【h.海外フィールドワーク派遣事業】
   博士論文執筆のための現地調査および国際音楽会の参加
2.実施場所
  タイ王国 チェンマイ
3.実施期日
  平成18年5月9日(火) ~ 平成18年5月17日(水)
4.事業の概要
   今回の調査は、仏誕節にチェンマイ大学とマハチュラロンゴン仏教大学が提携して開催された”The project of International Dharma Music on Visakha Puja Day”に楽器「ビー・ラムダオ」の「演奏者」として参加すること、また活動の参加を通して博士論文執筆のための資料収集を行うことが目的であった。今回の演奏による儀礼への参加はチェンマイ大学およびマハチュラロンコン仏教大学より招待を受けたものである。
 申請者は1998年よりこれまで中国、タイ、ラオス、ビルマと広範囲に居住する少数民族タイ族の音楽、特に中国において近年復興が著しい楽器「ビー・ラムダオ」について調査研究してきた。現在の研究テーマは、文化保護と発展の狭間にある楽器「ビー・ラムダオ」の復興事例に関してタイ族村落社会において長期調査を行い、人々の音をめぐる文化的感覚と生活実践の考察を通じて、音が人々の生活や社会を規定してきた様態を明らかにする。また、音と人々の関係の変化から明らかとなる村落社会の変容を消極的で受動的なものとみなすのではなく、人々のよりよい生活を求める創造的行為による可能性を見出していくことである。
 本事業で参加・調査した仏誕説は一年の仏教儀礼のなかでもっとも厳かに行われる。特に、5月12日は旧暦6月の満月の日で、釈迦の生誕、大悟、入滅の日とされる。仏教寺院では早朝から経が唱えられる。在家信者たちは托鉢を行ったり、前日から寺院におまいりし、仏、法、僧に帰依するためにローソクをもって本道を3度回る行事ウィアン・ティアンを行う。チェンマイでは11日深夜より、市内外の人々がこぞって徒歩で4,5時間かけてステープ山に登り、山腹にある寺院を目指す。元来、ステープ山の登山は夜明けからの仏教儀礼に参加するか、托鉢に行くかなどの目的のために村ごとにグループを組み、白装束をまとって粛々と登山したというが、ここ数年でそうした厳格な雰囲気は感じられなくなったという。
 現在も功徳を積む目的で登山する人々もいるが、学校の新入生の通過儀礼のイベントであり、男女の出会いの場でもあり、露店による経済活動の場でもある。夜通し、山のふもとから山腹までの14キロに及ぶ道路には露店が立ち並び、老若男女が連なって歩く。銅鑼やシンバルや太鼓を敲いて踊りながら山を登るものもいる。観光で来た僧侶をのせた車やタクシーが渋滞を作り、道路は混雑していた。
 今回参加した国際音楽会もこの数年に新たに企画された活動である。国際音楽祭は毎年世界の様々な仏教国から音楽家を招待し、数日間コンサートを行う。今回は、チェンマイの演奏グループが6組演奏したほか、カレン族の演奏家や、タイのイサーン地域、ラオス、インド、日本の演奏家たちが演奏を行った。コンサートでは歌手が釈迦の一生や仏教の教義を歌ったり、この仏誕説を祝うものであった。9日から10日の演奏会はワット・スワンドークで夜19時より深夜まで開催され、11日の演奏会は19時から12日夜明けにかけてワットドイステープで開催された。9,10日の演奏は政治的な問題のため大々的に宣伝はされなかったことと雨天のため、観客はまばらであった。11日は登山に来るものや熱心な仏教徒たちが大勢集まり、演奏会を聞いていた。
  また、かつて北部タイのタイ族(タイヤイ)村落にも楽器「ビー・ラムダオ」は伝承されていたが、近年では一部の老人を除いて伝承は途絶えていた。しかし、近年古い音楽を復元する試みがある。今回の事業ではあるビルマより軍事政権の弾圧を逃れてきたタイヤイの人から、芸能を中心に話を聞くことができた。

5.本事業の実施によって得られた成果

 

 チェンマイで行われた仏誕節は、以前は敬虔な仏教徒たちにとって厳かな一日であった。現在では国民にとってのイベントという側面がある。今のところ、観光資源として宣伝はされていないものの、北部タイの新旧入り混じった芸能や国外の芸能を享受できる数少ない機会であり、今後は政府機関との提携によってますますスペクタクル化されるだろう。しかし、ワットドイステープに見られるような祭としての華やかな表舞台とは逆に、寺院の境内に入ると、軒下で白装束を着た敬虔な在家信者や尼僧が隙間なく横になって12日の夜明けを待っている。さらにその敷地の中心は天井がなく、人々は線香とつぼみのついた蓮を両掌ではさんで持ち、金箔の張られた黄金に輝く仏塔の周りを祈りながら三度回っている。壁で仕切られてはいるものの外側の銅鑼やシンバル、太鼓などのにぎやかな音が耳に聴こえる。
 境内で粛々と儀礼が始まる時を待つ在家信者や出家した尼僧たちにとって、音楽は世俗のものである。音を聴いても「興味はない」としてじっと身体を休めていた。なかには昔のような静かな仏誕説の迎え方が懐かしいというものもいた。
演奏者として今回の仏教儀礼に参加することで調査者自らが傍観者とは異なる位置にあったが、演奏会の意図が仏教儀礼や信仰に向かっていくものではなかったため、信仰とはかけ離れた次元にいるようだった。
 調査者が演奏した楽器「ひょうたん笛」は中国徳宏州やビルマやそのほかの中国諸地域に住むタイヤイの人々が演奏していた楽器であったが、これまでの演奏会では「中国の西双版納州(シーサンパンナ)からきた楽器」として紹介されることが多い。シーサンパンナは新中国成立までタイ系の民族タイルーが王国を築いていた。そのため、チェンマイとは政治経済や芸術など歴史的に古くからつながりがあった。近年ではチェンマイから直行便もできたため、シーサンパンナはチェンマイの人々にとって身近な存在になっている。
 しかし、つい最近まではシーサンパンナではひょうたん笛は用いられてこなかった。シーサンパンナは雲南省の中でも観光開発が進んでいる地域であり、商品価値として中国全土で流行しているひょうたん笛を同じ「タイ族」という民族カテゴリーのもと、全面的に売り出した。中央政府による少数民族「タイ族」という民族カテゴリーの公定によって、もともとは交流が薄かった各地域のタイ族地域集団の交流が促進される側面が見られる。民族カテゴリーによって上からの画一化がある一方で、諸地域のタイ族の人々は積極的に民族カテゴリーを利用し、地域間で文化の接合がおこなわれている。
 北部タイでのひょうたん笛の伝承状況を見ると、すでにタイヤイの村でも見かけることはない。実物はメーホンソンのワットジョンカムに併設されている小さな博物館に保存されているくらいである。チェンマイ市内にあるワットパパオでもタイヤイ文化の博物館を建設しようとしているが、様々な文化がすでに喪失しているため展示品の収集が難航している。しかし、現在では中国側で制作されたひょうたん笛のCDやVCDの海賊版がビルマを経由して北部タイ、主にタイヤイ居住地域で販売されている。
 現在のところ、タイヤイの文化復興の大々的な運動は起きていない。個人レベルで数名のタイヤイの人々が文化の保存に努めている。そのなかでビルマより難民として逃れてきたタイヤイのK氏は自己資金で情報収集、芸能の後継者の育成を行っている。ただし、K氏のもとでタイヤイの芸能を学ぶ若者のほとんどがタイ人であって、タイヤイのアイデンティティを持った若者ではない。
調査者とK氏の交友関係は数年に及び、これまで様々な情報交換や資料を提供してきた。K氏もひょうたん笛の復興を願いタイ北部タイヤイ居住地域で制作・演奏ができる老人を探している。K氏の話では、ウィエンロン地域にタイ王国出身のタイヤイで70歳の老人男性がただ一人だけ今でもひょうたん笛の演奏・制作技術を継承しているという。この一年でようやく弟子を持つようになり、また、近所の老人たちも楽器を買い求め趣味で演奏するようになったという。今回は実際に現地を訪れる時間がなかったため今後の調査で詳細を確かめたい。
本事業で収集されたデータは、今後の長期調査のための基礎資料となるとともに、博士課程執筆に活用される予定である。さらに、自らの演奏活動など国際交流活動にも反映される。

6.本事業について
   本年度も引き続き学生の研究が積極的に支援されることはよろこばしい。特に、文化人類学や社会人類学といった学問分野を専攻しフィールドワークを必要とする学生にとって、博論執筆にとって貴重な機会、たとえば冠婚葬祭や宗教儀礼など日程が不確かで直前に決定されるようなものに参加しやすくなる。支援を受けることで資金にとらわれず、機を逃さずに参加し考察できるようになった。その意味で、旅費と宿泊費という最低限の資金の研究助成は十分すぎるほど妥当である。

 
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