国内外フィールドワーク等派遣事業 研究成果レポート





杉森真代(日本歴史研究専攻)
 
1.事業実施の目的 【c.国内フィールドワーク派遣事業】
  沖縄県石垣島川平集落における女性神役、男性神役の役職就任過程に関する聞き取り調査、及び収穫祭「豊年祭」の調査
2.実施場所
  沖縄県石垣市 字川平
3.実施期日
  平成18年7月10日(月) から 平成18年7月14日(金)
4.事業の概要
  (1)集落の儀礼に携わる女性神役者及び男性神役者の役職就任過程についての聞き取り調査

 川平では、農作物の生育に合わせて1年に26回の儀礼が行なわれている。年中儀礼は集落に5つある御嶽(オン、オタケ)とよばれる拝所を中心に行なわれ、川平の住民はそのうちの4つの御嶽(群星御嶽、山川御嶽、宮鳥御嶽、浜崎御嶽)にそれぞれに氏子として属している。それら4つの御嶽には、畳6畳ほどの広さの木造の小屋があり、その奥に石垣で仕切られた「ウブ(イビとも言われる)」という、香炉の置かれた空間がある。ウブに入ることができるのは女性神役者のみであり、特にツカサが、1年の大半の儀礼における祈願をウブにおいて1人で行なう。
氏子が属す4つの御嶽には、それぞれに女性神役のツカサ(司)、ティナラビと、男性神役のカンマンガー、スーダイ(総代、神事総代)、ムラブサ(村補佐)が定まっている。各儀礼においては、これらの女性や男性の神役者によって、様々な唱え言や歌などが発せられている。報告者は、それらのことばの実際のあり方(発し方・受けとめ方)、伝承方法、相互関係を探ることを通し、川平の人々に、ことばに関する知識と実践がどのように受け持たれているか、川平における、ことばによる営みの基層を明らかにすることを目指している。
この目的のもと今回は、スーダイ、ムラブサ、ツカサの役職就任過程や職能について聞き取り調査を行なった。

①男性神役スーダイ(総代、神事総代)、ムラブサ(村補佐)
スーダイ経験者2人、ムラブサ経験者1人に聞き取り調査を行なった。
スーダイ、ムラブサは、各御嶽に1人ずつ決められ、1年の任期である。両者は、公民館に属する組織「神事部」の構成人員である。スーダイは供物や祭具を用意・運搬・設置・撤収するなど、儀礼の場を整え、片付けることに関する作業の全般にあたる。ムラブサは、オンの掃除等、スーダイの下で儀礼執行に関わる作業を補佐する。
20~30年位前までは、集落の行事や儀礼に携わる男性が集落内に多数おり、個々の役職の職能に合わせて人材が選ばれた。例えば、計算が得意な人は会計に、字を書くのが得意な人は書記に選ばれ、逆にそれらが不得手な人はムラブサに選ばれたという。しかし現在は、集落内の男性の人数が限られているため、各人の得意分野と役職の性質の相性などはあまり考慮されず、誰でもどの役職にでも就く傾向があるという。ただ、スーダイとムラブサに関しては、スーダイが年配者、ムラブサは若者から選ばれる。
スーダイは、各御嶽の氏子から、スーダイ同士4人が大体同級生になるように「何となく、次は誰々に」と氏子の男性の間で決められる。ムラブサは、氏子の中から若手の男性が選ばれる。例外として、氏子が少ない浜崎御嶽は、氏子の中からスーダイやムラブサを出せないことがあり、その際は公民館長が氏子以外から選出する。
毎年12月に公民館の役員改選があり、ここで翌年4月から翌々年3月までのスーダイ、ムラブサを含む役員が正式発表される。

 ②女性神役ツカサ(司)
1996年に就任した群星御嶽ツカサと、2002年に就任した浜崎御嶽ツカサに聞き取り調査を行なった。

a.群星御嶽ツカサ(1996年就任)
 ・血筋:代々群星御嶽のツカサを輩出する家系の血を引く。
 ・ティナラビであったか:「ティナラビ」とは、個人的理由から御嶽での儀礼に参加する女性神役者である。自分の父方の祖母など、祖先もティナラビであったという人が多い。突然の体調不良などを契機に、就任することが多い。ティナラビは、ツカサ選出の際にツカサの候補者となることが多い。群星御嶽の現ツカサは、ツカサ就任前、ティナラビではなかった。
 ・ツカサの選出方法:「神フズ」。神前でのおみくじ。群星御嶽で、氏子やツカサ、男性神役らが集まる中で、7人が集まっておみくじを引いた。おみくじは白い紙が折りたたまれたもので、1つだけ「神」という字が書かれた当たりくじが入っており、2回当たった人がツカサになる。現ツカサは2回目と4回目にあたった。4回目は、折りたたんである紙の上から、「神」の字がうかびあがって見えて、恐ろしくなり、「サーっと血の気が引いた」が、それを引かなければならないと、周りからの圧力を感じたという。
 ・就任前後の体調:「ツカサになる前はダラダラしていたけれど、なってからは病気ひとつしたことがない」。ツカサ就任前に、極度の体調不良はなかったが、就任してからの方が元気になったという。
 ・就任の儀式「ヤマダキ」:「口では表わせないほど辛かった」。「ヤマダキ」とは、各御嶽の創建に関わったとされる家「神元家(カンムトゥヤー)」の一番座に3日間籠もり、前任者や他のツカサから、各儀礼で唱える唱え言「ニガイフツ」を昼夜にわたり習う儀式である。この儀式を経て、新しいツカサとしての勤めが始まる。
 ・「ニガイフツ」の習得:ツカサになりたての頃、最初の2、3回は、前任者と一緒に御嶽内のウブに入り、前任者にも聞こえるように唱えながら教えてもらうという。各儀礼の3日前の夜に、ツカサ4人で集まってニガイフツを唱え合わせる。これを、ニガイフツを「ツラス」という。
 ・ニガイフツの唱え方:1人でウブに入るときは小さい声で唱える。それは、「自分と神様だけだから」。4人でツラスときは、互いに聞こえるように、少し大きい声で唱える。
 ・カンヨイ(神祝):カンヨイとは、ツカサとして一人前になったことを祝う儀式で、就任から5から9年経った頃に、「神年」とされる子、寅、午年を選んで行なわれる。群星御嶽ツカサは2002年にカンヨイを行なったという。
 ・日常の仕事:川平のsホテルで、朝4時から、朝食を作ったり、洗い場をしたり、朝だけ働いているという。儀礼のあるときは休むので、sホテル側からいやな顔をされることもあるが、現在まで何年にもわたり働いている。

b.浜崎御嶽ツカサ
 ・血筋:先行研究や、御嶽の由来伝承で「ツカサを輩出する家系」とされている家系の血筋ではない。しかし、自身の家系は浜崎御嶽のツカサとして正統であるとする説がある、という。
 ・ティナラビであったか:ツカサに就任する前は、ティナラビだった。自分の父方の祖母もティナラビで、その後継者としてティナラビに就任した。
 ・ツカサの選出方法:神フズ。浜崎御嶽にティナラビ8人が集まり、おみくじを引いた。現ツカサは1回目と5回目に当たった。3回目のくじ引きは、候補者には当たりくじのない空くじに見えたが、列席していた3人のツカサには当たりくじが見えるという、不思議なものだった。
 ・就任前後の体調:現ツカサは、就任以前から長年にわたり体調不良に悩まされ、民間巫者であるユタのもとへも度々行っていた。まず、結婚直後にユタの指示によりティナラビになって体調が改善し、次に祖母の死後、現ツカサが守っていた祖母の香炉を捨て、自分の香炉を新しく作ったことにより、さらに体調が改善した。ツカサの後任者を決める神フズの前には、一時体調が非常に悪化するが、ツカサに就任してからは「大変元気」になったという。
 ・就任の儀式「ヤマダキ」:前任者のカンイトマ(神暇願い)の後、由来伝承においてツカサの正統とされる家の座敷で行なった。前任者からは「パカーラ」を習い、他のニガイフツは、他の3名のツカサから習った。パカーラとは、具体的には川平内の細かい土地の名前であり、それらは御嶽ごとに異なり、各御嶽の神の領地であるとも言われるが、確定した説はない。ヤマダキの間だけではニガイフツの全てを覚えられないが、パカーラだけは覚えなければならないという。
3日たつと、「スディル(生まれ変わるの意)」。バケツに入れておいた生きた魚を、朝、塩水で炊いたものを飲む。そして、「おかず、おつゆ、4つずつ」のお膳を食べる。作るのは、実家(弟の奥さん)。それまでは、何も食べられなかったという。
 ヤマダキの3日間は人に会わず、トイレも昔のようなのを作る。一番座を屏風で囲い、上に注連縄を張る。ゴザを1枚敷く。口をゆすぐ水のひしゃくはクバで、スーダイが作る。外のトイレに行くとき、人から見えないように青竹でびっしりと通り道をかこったという。
 ・ニガイフツの習得:ツカサに就任してから最初の2、3回は、前任者と一緒に御嶽に入り、ニガイフツを唱えた。儀礼の3日前の夜は群星御嶽ツカサの家で、ツカサ4人で集まって、ニガイフツをツラシている(唱え合わせている)。ニガイフツは現在も習得中であり、分からないことがあればいつでも、前任者に聞きに行っている。
 ・カンヨイ(神祝):「カンヨイはまだまだ。まだ(わたしは)幼稚園生みたいなもの。10年はたたないと」とのことである。
 ・日常の仕事:美崎町(石垣島南部の繁華街)のハンバーガー屋に勤めていたが、ツカサになってからは儀礼のために休むことが多く、ローテーションが組めないと雇用者から言われたので、自ら辞めて、川平のcホテルで、儀礼のときはいつでも休んでいいという雇用者側の了解を得たうえで、草刈をしている。

(2)収穫祭「豊年祭」の調査

 豊年祭は稲の収穫感謝祭であり、2006年は旧暦6月17日壬寅、新暦7月12日に日取られ、行なわれた。当日は午前7時にムラブサが銅鑼を叩きながら集落内を歩いて「御嶽参り」が始まることを知らせた。御嶽参りでは、ツカサ4人、スーダイ4人、昨年度(2005年度)のスーダイ長1人、65歳以上の男性「ウヤシュウ(親衆)」10人が、4つの御嶽を回って祈願を行なう。宮鳥御嶽で集合(7時20分)し、群星御嶽(7時47分~8時24分)、山川御嶽(8時32分~9時6分)、宮鳥御嶽(9時17分~46分)、浜崎御嶽(10時2分~11時52分)の順に回る。
 各御嶽では、次のことを行なう。ウブの内外にムシロを敷き、まずウブの外のムシロ上に供物を並べてツカサと男性達が正座で向かい合って一礼した後、ツカサは供物を持ってウブ内に入り、供物を並べ、香を焚いて祈願を始める。途中、ツカサ達が深く祈る時は、ウブの外の男性達も「三十三拝」という拝礼を行なう。祈願が終わり、ツカサがウブから出てくると、ムシロの上でツカサ4人とスーダイ4人で神酒を取り交わす。そして、次の御嶽へ出発する。
最後の浜崎御嶽では、上記の行程が終わった後、全員に神酒が回される。そして群星御嶽のツカサ、ウヤシュウの代表者、今年度のスーダイ長が順に皆に対して挨拶のことばを述べる。その後、スーダイ長が、今年度の結願祭が旧暦の8月29日、新暦の10月20日であることを皆に知らせ、午前中は解散となる。
 午後は各御嶽にツカサ、スーダイ、カンマンガー、ムラブサが1名ずつと、氏子達が、供物を持って集まり、「ブパナアギ」を行なう。今回は宮鳥御嶽のブパナアギ(13時55分~18時)を調査した。ツカサはティナラビとともに3回(14時17分~40分、15時0分~54分、16時22分~45分)、祈願を行なった。このうち1、2回目の祈願はウブで行なわれたが、3回目の祈願は大雨のため、屋外のウブで行なうことができず、拝殿の中で行なわれた。1、2回目の祈願では、氏子が持ち寄った供物をウブ内に並べて祈願を行なう。3回目の祈願をツカサが行なう頃には、ツカサ以外の人々は供物のお下がりを食べたり、酒を飲んだりしている。供物は、芭蕉の葉で包んだ餅、米とお香、海草や長命草を味噌やピーナッツ、ニンニクなどで和えた「スナイ」、米で作った白濁の神酒である。ツカサが祈願を行なっている時間帯に、石垣市長や、川平の大型ホテルの従業員が、酒などの手土産を持って挨拶に来た。
 17時から、宮鳥御嶽に固有の「ビッチュル石担ぎ」が始まった。御嶽内に安置されている、重さ60キロと言われる大きな石を、男性が担ぎ上げる儀式である。この石を定位置から動かすことができるのは、豊年祭の石担ぎの時のみであり、動かすことのできる人も、この石を海から拾ってきたという先祖をもつ家の当主と決まっている。まず当主が石を転がしながらウブの正面に移動させ、担ぎ上げ、掛け声をかけながら左回りに円を描いて数周歩いた。続いて7人の男性が担ぎ上げ、最後に当主が、また石を転がして定位置に戻した。なお、この石は毎年「だんだん大きくなっている」と言われている。また、石が重い年ほど、農作物がよく実るとも言われる。
 石担ぎを見るために、御嶽には観光客など氏子以外の人が集まっていたが、石担ぎが終わると皆帰っていく。18時頃、ツカサ、スーダイ、カンマンガー、ウヤシュウとその家族が縦2列に並んで、御嶽から宮鳥御嶽の神元家まで、「アガルカーラ」という歌を歌いながら歩いていく。このとき、銅鑼と鉦が鳴らされる。神元家の庭に着くと、左回りに円を描くように歩きながら、「チクデヌハチムヌ」という歌を歌う。歌い終わると、神元家の座敷で祝宴となる。

5.本事業の実施によって得られた成果
   今回行なった神役者への聞き取り調査と、豊年祭の調査のうち、聞き取り調査の成果を目下論文にまとめており、提出の準備をしている。ここでも、聞き取り調査の成果について述べ、豊年祭の調査の成果についてはあらためて発表の場を検討したい。
  今回の調査で得られた最も大きな成果は、神への静かな祈り方の様相を、いくつかの角度から捉えられたことである。
  川平のツカサは、唱え言である「ニガイフツ」を極めて静かに唱える。今回の調査で、ニガイフツは伝承の過程で文字化されないことが改めて確認され、また、ニガイフツを唱えるときの声の大きさについて、細かい事実が明らかになった。
群星御嶽ツカサによれば、ニガイフツを唱えるときは、小さい声で唱えるという。それは、「自分と神様だけだから」である。これは御嶽内のウブに1人で入る場合のことであり、ツカサ4人でウブに入る場合は、前後左右に座るツカサ同士、互いに聞こえるくらいの声で唱えるという。これについて浜崎御嶽の前ツカサは、ウブに4人で入る時も、ニガイフツを唱える声は互いに聞こえなかったが、どこを唱えているかは互いに分かる、とかつて言っていた。いずれにしても、小さい声で唱えるということである。
ニガイフツを習い覚える過程で、前任者とともに御嶽の中のウブに入る時は、隣に座る前任者にも聞こえるように唱え、唱えながら教わるという。また、儀礼の3日前あるいは5日前にツカサ4人でニガイフツをツラス(唱え合わせる)時も、互いに聞こえるくらいの声で唱えるという。
  すなわちニガイフツは、習得や唱え合わせという目的がある場合は、隣にいる人に聞こえるくらいの声で唱えられるが、基本的には、神に対して唱えるものとして、ごく小さな声で唱えられるものである。
  このようにニガイフツは、小さな声で唱えられるということのみで、他人からは聞こえにくいものであるが、唱えられる環境など、いくつかの要因を合わせて考えるとさらに、「いかに聞こえないことばであるか」が明確になる。
  まず、ツカサはニガイフツを、ツカサ以外に口外してはいけないとされている。すなわち、儀礼における祈願の際と、後任のツカサに教えるか、ツカサ同士で練習・確認する際以外には、ニガイフツを口にしてはいけない。
  ニガイフツを口にする時を考えてみても、ニガイフツの練習の場はツカサ以外には固く閉ざされており、儀礼の場であっても、ツカサのみが御嶽で祈願するものはツカサ以外には閉ざされており、他者がニガイフツを耳にする可能性はゼロに近い。
ツカサ以外の人間にニガイフツが唱えられる場が完全に閉ざされてはいない場合として、スーダイや氏子など、複数の人間が参加する儀礼について考えてみても、ツカサが1人でウブに入る場合は、他の参加者と数メートルの距離を置くため、ニガイフツは聞こえない。一方で、ニガイフツを唱えるツカサの傍に人がいる場合を考えると、年に数回、ティナラビと共にウブに入る時と、ウブ以外の場(公民館など)で祈願を行なう時がある。ここで初めて、ツカサ以外の人がニガイフツを聞く可能性が出てくる。しかし、先に述べたように、ツカサは小さな声でニガイフツを唱えるため、傍らにいても聞き取りにくいと考えられる。
このように、川平のツカサのニガイフツは、ツカサ以外の人にはほとんど聞こえないかたちで、静かに唱えられる。ニガイフツについての知識は、ツカサの間でのみ共有されている。このようなあり方は川平のニガイフツの大きな特徴と言え、それは琉球諸島における他地域の女性神役者による神歌・神謡と比較するとさらに明らかになるであろう。
以上は川平の儀礼における様々なことばのあり方について考察する博士論文の重要な一部となる。
6.本事業について
    自分の居住地からは遠隔の沖縄県石垣市の川平集落を調査地としているため、移動にかかる費用を助成して頂けるのは大変ありがたい。
  普段は、学生派遣関連事業に申請する学生の申請内容や研究成果レポートをホームページ上で見ることにより、専攻を超えて学生の研究内容を知ることができ、刺激を受けている。
 
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