国内外フィールドワーク等派遣事業 研究成果レポート





杉森真代(日本歴史研究専攻)
 
1.事業実施の目的 【c.国内フィールドワーク派遣事業】
  石垣島川平集落における年中儀礼(節祭)・歌・唱え言の調査
2.実施場所
  沖縄県石垣市 字川平
3.実施期日
  平成18年11月5日(日) から 平成18年11月10日(金)
4.事業の概要
   新暦11月5日、旧暦9月15日の戊戌の日から石垣島川平において5日間にわたり行なわれた「節祭」(シツ)の調査を行ない、合間に知り合いの方々をたずね、年中儀礼や儀礼における歌・唱え言について聞き取り調査を行なった。
  節祭は、初日の夜の「マユンガナシ」儀礼から始まる。儀礼の由来伝承では、マユンガナシとは年の変わり目の夜に川平を訪れた神であり、その神が人々に教えた唱え言「カンフツ」を、1年に1度複数の男性が神に成り代わり家々をまわって唱えるようになったとされる。川平の「上の村」と「下の村」で別々に行なわれ、両村ではマユンガナシの神としての装いが異なり(上の村は芭蕉の葉を腰まわりに着け、裸足、下の村は草履をはく等)、唱え言にも言い回しや節回し等に違いがあるが、両村とも蓑を着け手ぬぐいで頬かむりしたうえにクバ笠を目深く被ることや、カンフツとして唱える内容の大筋は共通している。また、マユンガナシ成員達はマユンガナシの長である「フームトゥ」(大元)の家から出立し、空き地に集まり、そこから2人1組で各家に向かい、カンフツを唱え、座敷で饗応され、家をまわり終えると再び空き地に戻って夜明けを待ち、日の出の頃にフームトゥの家に向かい、そこで締めくくりの儀式を行なう、という儀礼過程も共通している。2006年は上の村4組8人、下の村3組6人の男性がマユンガナシに成り代わった。
  報告者は、マユンガナシ儀礼の調査を行なうのは4回目である。これまで、マユンガナシ儀礼において「神」としてのマユンガナシにのみ着目する傾向があった先行研究に対し、報告者は神を迎え、神の唱えるカンフツを聞く側の人に着目して調査・考察を行なってきたのだが、今回の調査でもあらためて、儀礼を成立させるうえで神を迎える側の人々が重要な役割を果たすことが明らかになった。
  上の村と下の村1軒ずつのお宅でマユンガナシを迎える場を調査した。カンフツを唱えるマユンガナシに直接相対するのは各家の当主である。小1時間カンフツが唱えられる間、当主は、カンフツ中に繰り返される定型句の後で返事を入れなければならない。またカンフツの進み具合に応じて、饗応の食事を整えるよう、家族に指示を出す。マユンガナシはカンフツを唱える以外はことばを話さないため、当主はマユンガナシを座敷に上げ、礼を言い、食事をすすめ、送り出すという一連の過程を、自ら進めなければならないのだが、このとき当主は川平方言で、しかも神を敬う態度を示す敬語で話さなければならない。以上のことは、これまでの調査からすでに報告してきたのだが、今回はカンフツを唱え終えたマユンガナシを座敷に上げて饗応する場面における、当主の話し言葉について、さらに詳しく調査することができた。特に、座敷に上がったマユンガナシに対して当主がまず述べるお礼について、このときは自分の家や集落、また世の中におけるその年の出来事を述べ、神のおかげで1年を過ごすことができたが来年も良い年になるように、といったことが言われるのだが、このお礼のことばの中に、マユンガナシが唱えるカンフツの文言と同じものが織り交ぜられていることが、調査した2軒のお宅の両方で聞かれた。たとえば、マユンガナシのカンフツには、マユンガナシの来歴を「~から(来た)」と述べる箇所があるが、当主もお礼のことばの中でカンフツと同じ文句によって、「~からいらっしゃった神様」というふうに神に対して述べていた。
  マユンガナシを迎える作法は難しい、川平方言で敬語を話すのは難しい、ということは特に若い人の間で言われるが、今回、「マユンガナシを迎えるのは、カンフツをしていた人でなければできない」ということも聞いた。この発言の背景には、マユンガナシの役をつとめたことのある人は、マユンガナシのふるまいやカンフツの内容を知っているので、マユンガナシへの対応の仕方も分かるということがあろう。具体的には、マユンガナシをつとめた人は、カンフツを知っているため返事を上手く入れられ、儀礼の進み具合を見通すことができるということに加えて、カンフツを通して知っている神の来歴や仕事(五穀豊穣をもたらす等)をふまえてお礼を言うことができ、それらは結果として儀礼の場にふさわしい「演出」となっていると考えられる。マユンガナシ儀礼における、訪れる側と迎える側のやりとり、及びそのやりとりを支える知識と技術に着目して、今後も調査を進めたい。
  各家でカンフツを唱え終えたマユンガナシ達は「倉の屋敷跡」と呼ばれる空き地で夜を過ごし、夜明け前に女性神役の「ツカサ(司)」と男性神役の「スーダイ(総代、神事総代)」、「ムラブサ(村補佐)」が参集してきて、あいさつを交わす。日の出の頃に、全員で行列して歌を歌いながらフームトゥの家に向かい、フームトゥの家で締めくくりの儀式を行ない、その年のマユンガナシ儀礼は終わる。以上の朝方の儀礼過程も4度目の調査になるが、今回は次のことに気づいた。川平の年中儀礼では、神役同士が方言を用いてあいさつのことばを交わす場面がしばしば見られる。その多くは、祈願を終えたツカサに対してスーダイがお礼のことばを述べるものだが、マユンガナシ儀礼においては、ツカサがマユンガナシ成員に対して労をねぎらい、お礼のことばを述べる。そのお礼のことばを述べる時間が、他の儀礼に比べて長いことに気付いた。その理由としては、近年、1年任期制のスーダイになる男性の中には方言ができず、方言によるあいさつも短くなりがちであるのに対して、普段から方言を多用して儀礼を執り行なっているツカサは方言によるお礼のことばを難なく言えるからなのか、あるいはマユンガナシに成り代わることが1年に1度の大役とされているため長大なお礼のことばを述べるからであるのか、いくつか考えられるが、今後検討したい。

  2日目は集落の井戸をさらって掃除をする日であるが、村番所跡にある井戸においては午前9時から、1人のツカサと4人のスーダイが集まって祈願を行なう。祈願終了後、ツカサの方に神観念について伺った。その方によれば、神の声が聞こえたり姿が見えたりすることはなく、先代から教わったニガイフツをそのまま唱えるのみであるとのことだった。ただ、祈願が通じたかどうか行なう米占いの時は、毎回緊張するという。
  2日目の日中、1928年生まれの女性から、マユンガナシのカンフツについて興味深いお話しを伺った。その方は女性であるため、男性の役であるマユンガナシをつとめたことはないが、カンフツを節をつけて唱えることができる。それは、小さい頃に自分の祖父のひざの上で、カンフツの文句と意味をよく聞かされていたからであるという。田畑で作物をつくって生活してきたので、作物の育て方がよみ込まれているカンフツは聞くとありがたいことばとして頭が下がる思いがするという。女性はカンフツの内容を生活上の実感をもって捉えていた。報告者は、カンフツの文句の中で意味の分かりにくい箇所について、いくつかたずねた。それらについて女性は、かつての農作業の方法であるとの解釈に基づく、これまでに報告者が他の人から聞いた意味や、文献で読んだ意味とは異なることを教えてくださった。
マユンガナシのカンフツに関する先行研究では主に、研究者によるカンフツの解釈をめぐる議論がなされていた。そこでは、カンフツを川平の人々がどのように発し、聞いているのかという問いはなされず、カンフツはマユンガナシが唱えるものという前提だけがあった。このような先行研究に対し、報告者はカンフツの実際をみる立場から、先にふれた当主による返事等の、唱えられる場における聞かれ方について報告してきたのであるが、今回この女性に伺ったお話から、さらに多様なカンフツの聞かれ方、受容のされ方が明らかになった。今後もカンフツをめぐる様々な立場の人に聞き取り調査を行ないたい。

  3日目は「正日」と言われ、農耕・儀礼の暦上で正月元旦にあたる。かつてはこの日、集落中で奉納芸能を行なったが、現在はかつて4日目に行なわれていた獅子舞と、神役を中心とした一部の人々による「座願い」及び小規模な宴が行なわれるのみである。報告者は、節祭の3日目以降を調査するのは2000年以来であり、前回は獅子舞と座願いを調査したが、今回は座願いと並行して行なわれていた、獅子のツカサ達の祈願と直会を調査することができた。
  座願いが公民館内の舞台上で行なわれる間、公民館の直ぐ外の壁際で、獅子舞の獅子に入っていた男性4人が獅子頭を前に祈願と直会を行なっていた。4人のうち2人は高校生、もう2人は壮年の男性で、うち1人が獅子のツカサ役であり、「獅子の願詞」という唱え言を行なっていた。唱え言は獅子頭をしまう道具箱の蓋の裏に書き付けてあり、それを見ながら唱えられていた。上の村と下の村で別々の唱え言があり、かつては獅子のツカサもそれぞれにいたそうだが、現在は1人の獅子のツカサが上・下の村両方の唱え言をしていた。唱え言が終わると、供え物を頂きながらの直会となった。その間、獅子舞での獅子の動きの意味合いや、練習の時期、獅子舞における笛の音の役割等についてお話を伺った。特に興味深かったのは、獅子のツカサと、舞の時に太鼓を叩いていた元公民館長の方が、若手2人に対して言った獅子の立ち上がり方についての注意だった。4足の動物は必ず後の右足から立ち上がるのだから、獅子もそうしなければならない、ということだった。2人とも牛を飼っていて毎日見ているため、動物の自然な動きが分かるという。獅子舞の動きが、抽象化された美学にのみ基づくのではなく、毎日接している実在の動物と関わらせて考えられている点が興味深かった。他にも、獅子のツカサ達が獅子頭を尊重し、誇りを持って「川平の獅子が一番古い」と言われていること等興味深く、さらに調査を行ないたく思っており、来年の結願祭10日前から始まる獅子舞の練習の時期には川平に行きたいと考えている。

  4日目は、現在は儀礼過程が無い。報告者はこの日の午前中、2日目とは別のツカサの方に神観念等についてお話を伺った。こちらのツカサは、自分が担当する拝所「オン(御嶽)」が荒れた時等、神からの知らせを感じるという。それは、後頭部から肩のあたりにかけて「パーッと」感じるものであるという。このほか、明日の「神座遊び」について、昔は参加資格に厳しい制限があったこと等のお話を伺った。
午後は下の村のマユンガナシのフームトゥ(大元)に、カンフツについてお話を伺った。フームトゥは、マユンガナシをつとめて50年になるという。最初の3年は上の村でつとめ、その後は下の村でつとめ、「カンフツが上手だからムトゥに」と推され、10年目にフームトゥになった。フームトゥは戌年でなければならず、その他の成員は何年でもよい。カンフツは口で教えるが、最近は覚えの悪い人は紙に書く。メロディはとても難しく、声も普通に話す声よりも一段低音にするので、「出し切らない人もいる」。フームトゥも、マユンガナシになって最初の3年は、文句をなかなか覚えられなかったという。ただ、1度覚えてしまえば忘れてもすぐ思い出す。カンフツの難しさについて、「皆で歌う歌のようなのなら言いやすいが、1人で人の家で言うのは緊張もする」といい、作法については「家の人に失礼の無いようにする作法が難しい」ということも言われた。フームトゥにも、カンフツの文言の個別的意味をたずねたが、1箇所について、これまでに見聞きした意味とは異なる意味が聞かれた。なお、通常は節祭が終わるとマユンガナシやカンフツの話はしないという。旧暦7月のお盆を過ぎると、またマユンガナシ儀礼について話し始めるという。
  5日目は「神願い」の日で、朝8時から公民館内の調理場に60歳以上の女性(30人)が集まり、供え物にする和え物「スナイ」を作る。各自がニンニク、ピーナッツ、味噌、長命草、パパイヤ、ツノマタ(海草)2種のいずれかを持ち寄り、さらに今年は長命草があまりできなかったので、大根葉も加えられた。杵と臼でニンニク、ピーナッツ、味噌を搗き、ほぐした長命草、パパイヤ、ツノマタ、大根葉を和える。作り終わると公民館のホールに移動し、スーダイの司会で、今年の「ニームツピトゥ(荷物持ち)」の女性3人と銅鑼を鳴らす係の女性2人が発表される。この日午後の祈願でツカサは川平の西端の拝所まで行くのだが、この時供物を運ぶ役を受け持つのがニームツピトゥである。また、ツカサ達が祈願を終えて帰ってくる時、集落のはずれで60歳以上の女性達が出迎えるのだが、その出迎えの時を知らせるために、係になった女性が銅鑼を鳴らしながら集落内を歩く。
  係の発表があった後、午後に歌う歌の練習を行なう。迎えたツカサ達と共に行列して公民館まで歩く際に歌う歌である。これが終わると午前中は解散となる。
  報告者は、川平の儀礼の場における方言の意識的使用にも着目しているが、この午前中のスーダイによる司会も、方言で行なわれていた。昔ながらの方言を日常的には使わない世代のスーダイであるため、うまくできるかどうかプレッシャーを感じながら司会に臨んでいた。また、スナイを作る女性達のところに、ツカサ4人があいさつに来る場面があったが、この時も方言の敬語で話されていた。
  午後は、ツカサ4人、スーダイ4人、ムラブサ4人、ニームツピトゥ3人、神事部顧問の男性1人、昨年のスーダイ長が公民館に集まり、ツカサが就く4つのオンの中では最西端の群星オンまで行って祈願を行ない、そこからツカサとニームツピトゥのみがさらに西の底地オンまで行って祈願する。そしてツカサ達が帰ってくる道の途中で出迎えの女性達と合流し、スーダイの灯す松明とともに公民館まで歌を歌いながら歩く。公民館では集落内の多くの人が一行を出迎え、ホール内に準備された会場で「神座遊び」が行なわれる。あらかじめ定められたプログラムに沿って、舞台上で舞踊や出し物が演じられる。このときのスーダイによる司会や、神事部顧問の男性などによるあいさつも、敬語を多用する川平方言が意識的に使われていた。
  2000年以来2度目になる「神願い」の調査を行ない、儀礼過程にいくつかの変化があることに気付いた。朝のスナイ作りは、2000年はスーダイ長の個人の家の庭で行なわれていたが、今回は公民館だった。また、2000年はスナイ作りと並行して牛一頭で汁を作っていたが、今年は作られていなかった。スナイ作りの場が公民館に移ったのと同時に、牛の汁も作らなくなったという。また、神座遊びでは、5年前は参加者全員に仕出弁当が配られたが、今年は各自が自分の食べる分を持ち寄る「一品携行」の方式であった。ただ、ツカサなど一部の人には弁当や吸い物が用意されていた。
  以上で大まかに、時間に沿って調査内容を報告した。

5.本事業の実施によって得られた成果
   1つのテーマに関し、様々な立場の人にお話を伺うと異なる答えが得られることはこれまでも経験していたが、今回の調査ではマユンガナシのカンフツの受けとめ方、神役の神観念など、重要なテーマについて、川平の人による多様な見解の一端にふれることができた。このうちマユンガナシのカンフツに関する聞き取り調査の成果について述べたい。
マユンガナシのカンフツについて、先行研究では「神の発することば」という観点からのみ論じられる傾向があった。またカンフツの内容はしばしば、「豊穣の幻視」「予祝」という半ば決まった言い方で説明されることが多かった。これに対し報告者は、予断を退けたうえで、カンフツは人々にとってどのようなことばであるかを探ることに意義があると述べ、調査を行なってきた。まず行動の観察から、川平の人々はカンフツに返事を入れながら聞くという、カンフツの聞き方の作法について報告した。その後は聞き取り調査を重ね、カンフツがどのようなものと捉えられているかを調査してきたのであるが、その過程ではもちろん、カンフツは神様のことばであるという見解も川平の人からしばしば得た。だが今回は、カンフツを生活の実感として捉えているという具体的な事例が得られた。お話を伺った女性によると「カンフツには、生まれてから結婚して子どもを育てて独立させるまでに必要なことが全部入っている」、すなわち、カンフツに読み込まれている農作業の手順等を実行していけば、作物が実り牛馬が育ち、生活していける、とのことである。このようなカンフツの捉え方は、「予祝」といった用語のみでは説明しきれないのではないか。この点をさらに検討するとともに、今後の調査でも、カンフツの様々な受容のされ方を探り、博士論文中においては1つの唱え言をめぐる集落の人々の態度を立体的に記述することを目指す。今回はそのための重要な手がかりをつかむことができた。

 マユンガナシの役に就いたことの無い(就くことのできない)女性が、カンフツを節回しとともに言えることも知り、このことから、カンフツは1年に1度のみ唱えられるものでありながら、また儀礼の場におけることばとして様々な制約をもつものでありながら、集落内の人々に少なからず浸透していることが伺えた。
 なおカンフツについて、報告者はこれまで聞かれ方に着目してきたのであり、今回も受けとめられ方について興味の深まる調査を行なえたのだが、今回はまた唱える側の神役(マユンガナシ)の方にもお話を伺うことができ、カンフツをより多面的にとらえることが可能となった。
また、次のような反省を促されたことも今回の成果であった。今回、儀礼をつぶさに観察することにより、儀礼に関わる役職や立場によって、信仰を表現するうえで重きを置く行動が異なることが分かってきた。例えば、ツカサは唱え言に重きを置く。マユンガナシも唱え言に重きを置く。獅子舞を担う男性は舞いに重きを置く。スーダイやムラブサは、供物の準備や儀礼場の設営などに重きを置く。獅子のツカサやスーダイにも唱えるべき唱え言があるが、彼らは唱え言よりも、自らの職能に重きを置く。これまで報告者は「儀礼におけることば」に着目して調査・考察を行なってきたため、ことばへの重きの置き方のみで、それぞれの役職に就く方たちの儀礼に対する取り組みを評価する傾向があった。しかしこれは大いに反省すべきことであると分かり、今回の調査を通し、人々はそれぞれの役職の本分において儀礼への真摯な取り組みを体現していることが伺えた。博士論文において儀礼における「ことば」に着目して論を展開するにあたり、今回の調査により、「ことば」を相対化することができた。今後さらに、儀礼におけることばと人について記述するうえでの視点や概念を整えていきたい。

6.本事業について
   調査費用が支援されるのは大変ありがたく、今後も本事業を活用していきたい。

 
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