国内外フィールドワーク等派遣事業 研究成果レポート





玉山ともよ(比較文化学専攻)
 
1.事業実施の目的 【h.海外フィールドワーク派遣事業】
   フィールド調査
2.実施場所
  アメリカ合衆国 ラグナ・プエブロ保留地 他、南西部地域
3.実施期日
  平成18年11月28日(火) ~ 平成19年1月25日(木)
4.事業の概要
   約2ヶ月にわたる本フィールド調査は、アメリカ先住民(主に合衆国南西部地域における)のウラン鉱山による被曝問題について調査する目的のもと行ったものである。このテーマに即して最初の約1週間(11月29日~12月2日)は、アメリカ合衆国アリゾナ州ナヴァホ・ネーション内のウインドー・ロックで開催された「先住民世界ウラン会議(Indigenous World Uranium Summit)」に参加した。本会議は、2005年にアメリカ国内最大の人口規模(約27万人)を誇るナヴァホ・ネーションが、保留地内での一切のウラン鉱山に関連する操業を禁止した先住民法を制定したことにより、そのことを受けてその行政中心地であるウインドー・ロックが開催地として選ばれ開かれたものである。会議にはカナダ、ブラジル、インド、オーストラリア、そしてアメリカ合衆国の先住民が参加し、ウラン鉱山による先住民への影響について各国の報告に続き話し合いがもたれた。参加者自体はアメリカ国内およびドイツ、カナダ、オーストラリア、中国、インド、ブラジル、バヌアツ、日本から(私のみ)も参集し、全体でおよそ300人位の規模であった。
 会議はまた、ドイツのザルツブルグに本部がある非核団体、Nuclear Free Future(核のない未来)財団により、核のない未来へ向けて社会構築に貢献した人々および団体へ対し賞を贈るという表彰式が共催された。受賞者にはウラン鉱山関連の人々だけでなく、小規模太陽光発電の技術をケニアおよびアフガニスタンそしてインドへの技術移転を行い、地域の自立に貢献しているドイツ人夫妻等も含まれていた。
  会議に先立っては、ナヴァホ・ネーション内のチャーチロック地区で1979年に全米史上最大の放射能漏れ事故が起こった現場付近への視察ツアーが吹雪の中行われた。事故を起こしたユナイテッド・ヌークリアー社が遺棄し事業から撤退した元ウラン鉱粉砕施設跡を訪れ、チャーチロック地区公民館で地元のナヴァホEPA(環境保全機関) の方より講演を聴く機会があった。
  本会議中は、ラグナおよびアコマ・プエブロの地で採掘されたジャックパイル・ウラン鉱山のパネルに出席し、参加者と意見交換、インタビュー、交流を深めた。
  そして会議終了後は、会議中に集めたデータがかなりたくさんあり、12月はその整理と分析に努めた。
19年度に入ってからは、会議中に出会った参加者を訪ねインタビューを行い、さらにフィールドワークを続けた。それと同時に、アルバカーキにある環境NGO「Southwest Research and Information Center」に通い、同機関が所有する資料を閲覧、コピーを取らせていただき資料の収集を行った。
以上、結果として調査はラグナ・プエブロ保留地内にとどまらず、広くニューメキシコおよびアリゾナ州にまたがり、会議参加から始まり、インタビュー、資料の収集等を幅広く行ったものである。

5.本事業の実施によって得られた成果
 

 本事業により前半部の会議に参加したことによって、かなり広範囲な世界の先住民のウラン鉱山に関連する被曝の様相について詳しく知ることができた。
 その一つとしてインドからの報告によると、インドで唯一のウラン鉱山であるジャドゥゴダ鉱山では、インド政府がパキスタンとの核開発競争もあって政府および軍主導の熱心なウラン鉱山開発が進められ、主に先住民の居住区に隣接して行われたことにより、非常に深刻な放射能汚染を近隣住民に引き起こしているということが報告された。奇形児の出産率が非常に高く、映画監督であるシュリ・プラカッシュ氏はその状況を撮影し作品『ブッダの涙』として世界で上映活動を行っている。環境および人的影響をほとんど全く省みない大規模なウラン鉱山開発に100万人以上の人々が被害を受けているとのことであった。
 カナダからの報告では、カナダでも極北に近い地域(サスカチュワン北部)でのウラン鉱山開発の場合、非常に乾燥した気候のアメリカ南西部地域のウラン鉱山とは全く異なり、川や湖、湿地帯に非常に近いところでウラン鉱山開発が行われており、もし一度事故が発生するとなるとたちまち近隣の川などの水の流れによって周辺地域が汚染されていく状況が報告された。非常に寒い地域でもあるので、水の流れによって地下で採掘されたウラン鉱が流れ出さないためにも、一度人工的にウランが混じった水を凍らせて固形にしてから取り出し、後にウランを回収するという方法がとられているとのことであったが、実際にはその技術は確立されているわけではなく、多くの回収することのできないウランが流れ出ているということであった。近隣の先住民は人口規模こそ少ないものの、湖の漁業等に頼った生活を送っているために深刻な影響を受けているとのことであった。
 またオーストラリアより参加していた先住民からは、彼らのコミュニティーが開発によって分断され、少数者が反対運動を行っていることが報告された。アメリカ先住民コミュニティーの場合でも非常に似通っているが、経済的恩恵を受けることを優先する先住民とそうでない先住民グループが分かれ、互いを非難しあうことによって、結局は鉱山会社等により有利な条件で開発が進められて来たとのことであった。オーストラリアのウラン鉱山開発の場合は自国の原子力発電等に使われるのではなく、ほとんどすべてが輸出用に採掘されて外貨獲得の重要な資源になっているということで、その点はアメリカのウラン鉱山とは異なっている。いずれにしても先住民自身の生活の文化的価値が開発に際して考慮されることはほとんどなく、運動を行っている人々は現在少数者に回ってしまっているが、鉱山の面積規模でいうならば世界1、2と言われるほど大規模なものであるとの報告であった。
 そしてブラジルからは、ウラン鉱山付近の先住民と結婚したドイツ人男性が会議に参加していた。ブラジルでも非常に大規模にウラン鉱山開発が先住民居住地区において行われているが、反対運動はほとんどまったくと言っていいほど押さえ込まれており、先住民が先住民として開発に際して声をあげることはできないという状況が報告された。たとえこのような状況を海外に訴えようとしても、当該先住民に対してはパスポートやビザが発給されることは非常に難しいとのことで、ドイツ人である男性が先住民長老からの声を会議で届けるということで参加されていた。際立った被曝の状況はまだ目に見えて現れていないそうだが、先住民の森林に根ざした暮らしが鉱山開発によって破壊されているとのことであった。
 さらに中国からの報告としては、チベット自治区内に現存するウラン鉱山による大規模な環境破壊ならびに地元官僚の汚職・収賄の事実が、ニューヨークにある中国人人権団体の人を通じて発表された。実際は地元で活動していたSun Xiaodi氏が「核のない未来」賞の受賞者でもあり本会議へも招待されていたが、国家機密を犯したとして政府当局に拘束され行方不明になっているために、人権団体の人が代理として会議に参加していた。中国の場合は国家的プロジェクトであるウラン鉱山開発に疑問を呈する者については政府が非常に厳しい制裁を科し、Sun Xiaodi氏の場合は暗殺されたのではないかと考えられている。またウラン鉱山開発をめぐっては地元住民を強制移住させるためにその補償金として多額のお金が中央政府より地方政府へ流れたが、それが移転費用に使われた形跡は全くなく、人々は強制排除された上に、地方役人が横領着服して、開発は健康被害に全く配慮されない形で労働者が働かせられ独自に進めてきたとのことであった。
 会議全体を通じてアメリカ国内からの報告では、最新のウラン採掘技術が実際にどれだけ有効であるか、また核廃棄物の問題、環境公正運動について、さらに放射能汚染による補償法や先住民環境NGOの連携についてなど、幅広い論議が繰り広げられ、最後に会議が宣言文をまとめる形で終結をした。その宣言文によると、原子力エネルギーに依存しない社会の構築の必要性が説かれ、先住民が常に被害者の立場だけに回るのだけではなく、先住民文化をもって地下資源に依存しないライフスタイルを、先住民および非先住民が連携して主導していくことが重要であるとのことで参加者全員の合意を得、各自がそれぞれの場に持ち帰って伝えていく努力をするということになった。

 この会議の模様については、ナヴァホ・タイムズという地元の新聞がわずかに取り上げただけで、アメリカ国内では関心のある人々を除いて、インターネット以外の既存のメディアからはほとんど無視されているという状態であった。私はこの会議に出席して、非常に重要なことを市民レベルで話し合っているとの印象を受けたが、それがアメリカ国内でもほとんど知られていないということが現状であるのだとあらためて認識した。

 ということで今回のイニシアティブ事業によるフィールド調査のおかげで、大変貴重な会議に出席できる機会をいただいたことが、まずは一番の成果であると考えている。と同時に私は会議終了後、これからこの成果をいかに生かしていくのか、どのように会議から発信されたメッセージを伝えていくのかが非常に問題であると認識している。

 今回の会議は、いわゆる反核派の国際的な会合であるために、学問的な研究を行う立場からすると、原子力エネルギーおよびウラン鉱山開発を推進する立場の人々についてもフィールド調査を行い精査する必要があると思われる。その点については次回長期のフィールドワークを予定しており、調査を続行して行いたいと考えている。

  最後に何よりも実り多かったのが、会議参加者との会議後の交流であった。アルバカーキに拠点を置くSouthwest Research and Information Centerの研究者および活動家の人と親しくなり、会議資料の閲覧およびラグナ・プエブロにおける鉱山の閉山後の、グランツ市周辺における新しいウラン鉱山開発問題をめぐって今まさにニューメキシコ州議会で議論されている事柄について詳しく話を聴くことができた。(グランツ市はラグナ保留地で採掘されたウラン鉱が鉄道により運ばれ、粉砕処理を行う施設があった近隣都市である。)
現在、私が研究しようとしているラグナ・プエブロおよびアコマ・プエブロの地域では、保留地のすぐ外側にあるテーラー山の麓で、カナダの鉱山会社が開発許可を求めて州政府に申請を提出し、州政府はそれに許可を与えるかどうかについて議会で審査をしている。テーラー山はプエブロおよびナヴァホ先住民にとっての聖山であり、その文化的価値は彼らにとって計り知れないほど大きなものである。また私がこれまでラグナ・プエブロ保留地内にあったジャックパイルウラン鉱山についてフィールド調査をした限りでは、目に見えない形での被曝が労働者以外の近隣住民へもかなりあったのではないかと裏付ける証言をたくさん得てきた。しかしそれらを無視し、現在のウラン価格が大変上昇していることと、過疎化しているグランツ地域の経済的発展を支えるということで、ブッシュ政権が原子力エネルギーをサポートしているということもあり、鉱山開発にゴーサインが与えられる可能性がある。一度開発が始まれば、鉱山自体は保留地の外であっても、保留地内へ流れこむ地上の川や地下水脈、そして放射能を含む粉塵などの風害などを通じて、再び広範囲にわたって影響が現れてくるであろう。
 会議後1月末の帰国まで、現在のニューメキシコ州内のウラン鉱山開発、または核関連施設の状況について憂慮している多くの市民に出会った。その人々の話を聴くことができ大変参考になった。

補足になるが、縁あって私はニューメキシコ大学が主催するKUNMというラジオ局のマイノリティー女性が多く参加するプログラムに出演する機会を得た。音楽を含めて約2時間番組の中のおよそ20分、パーソナリティーの方のインタビューを受けながら、私自身について語り、なぜ先住民国際ウラン会議に行ったのか、なぜ私が先住民の被曝問題について関心があるのか等について話をした。どれほどの視聴者がいたのかはわからないが、大変面白い機会であった。

 さらに1月14日と21日両日の日曜日にわたって、アルバカーキにあるPeace and Justice Centerにて、日本の鎌仲ひとみ監督による『六ヶ所村ラプソディー』という、青森県六ヶ所村の核再処理工場についての映画の英語版を、監督より直々にお借りして上映会を開催した。宣伝期間が短すぎたこともあって映画会参加者は少なかったものの、あまり向こうでは知られていない日本の原子力行政の事情について、また再処理工場の近くで生活を営む人々について、映画を通じてアメリカで伝えることができた。また映画上映後ディスカッションの機会を設け、本当に一般の、核問題には関心のなかった方々とも交流することができて大変良かった。このときは、アメリカのことを学ぶときに私自身の国についてもっとよく知る必要があり、お互いに情報を交換することが、調査をする上でもとても有益なのだということをあらためて学んだ。

 以上をもって約2ヶ月間のフィールド調査の成果報告とします。

 
6.本事業について
   予算を申請する際に、私の場合はアメリカ南西部地域の非常に辺鄙なところへいく必要があり、公共交通機関がまったくないために、移動手段としてどうしてもレンタカーを借りる必要があったのであるが、それが費用として認められず、このプログラムの非柔軟性がかえって自己負担を増やしたのではなかったかと感じている。というのは、経費として認められる航空運賃自体は10万ちょっとであるにもかかわらず、レンタカー代は計16万円以上にものぼった。もちろんそれはイニシアティブで認められる2週間を越えての滞在であるからゆえの支出であるが、高額なレンタカー代を一部なりとも経費として認めていただけるなら有難かったと思う。
  宿泊場所も1ヶ月を越える長期滞在を伴う場合、ホテルにずっと宿泊するのでは学生の経済的負担の限度を容易に越えてしまう。よって私の場合は短期滞在できるアパートを苦労して探し、アパートの月極め領収証を包括的な領収証として提出したのであるが、新たにアパート提供者よりイニシアティブ事業で補助が受けられる、当該国に到着後2週間以内の、言ってみれば期間が非常に細かく分断されている領収証を再提出しない限り、経費としては認められないということで、このプログラムを利用させていただくに際して、私の不手際さを反省すると同時に、ホテルに宿泊することしか基本的には宿泊費支出の前提として捉えていないことに、非常にこの予算の使いづらさを感じるものである。 では、2週間だけでもホテルに滞在してからアパートに移ればよいではないかとも思われるであろうが、私のフィールド調査は常に小さい子供たち(1歳と5歳)を伴っている。子供たちの健康を考えると、お金のこともあるが、まずは外食以外の自炊できる状況に一刻でも早く移りたいのである。ということで、もちろんイニシアティブ事業では支援を受ける学生が家族を伴って行かなければならないことは想定されていない。当然私自身、子供たちの航空運賃その他の費用一切を個人で支出している。イニシアティブ事業でなければならない理由は全くないが、今後総研大の学生支援プログラムで特に海外派遣に関する場合、このような子供がいるという事情を、個人的な事情として支援の完全な対象外とするのではなく、何かもう少し柔軟性のある予算措置を認めていただける方向で検討していただけないであろうかと、切にお願する所存です。

 
 
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