今回の海外派遣事業では、「現代タイにおける仏教寺院と地域社会の関わり−僧侶の福祉活動をめぐって−」と題し、@僧侶たちの福祉活動を取り巻く政治・社会的背景、Aそれらの活動に対する寺院周辺の人びとの対応、の二点を明らかにすることを目的とした。具体的には、@については、特に近年のタイ政府の福祉政策の変遷を文献資料から辿り、政策の側が仏教の役割に対してどれほどの期待をもってきたのかについて調査した。その際、複数の図書館を利用して文献にあたったほか、受入教官やその他の現地研究者とのディスカッションをおこなった。また、Aについては、申請者の主たるフィールドであるチェンマイ県ドイサケット郡D寺と同寺周辺で、僧侶と住民の双方に対する聞き取り調査をおこなった。
<受け入れ機関にて>
派遣期間中、現地での受け入れを快諾してくださったのは、ヂュラーロンコーン大学経済学部および政治経済学研究所(Center of Political Economy)のカノックサック・ゲーオテープ助教授である。バンコク到着後すぐには面会の都合がつかず、電話での相談となったが、近年のタイにおける福祉政策に関するいくつかの研究書を薦めてもらったほか、タマサート大学社会福祉学部副学部長のキティパット・ノンタパタマドゥン助教授を紹介していただいた。またカノックサック先生とは、申請者がチェンマイでの調査を終えてバンコクに戻った後、改めて面会し、調査・研究内容に対する助言をいただいた。
<現地の研究者たちとの話し合い>
キティパット助教授との面会においては、欧米の社会福祉制度との比較からタイの社会福祉制度や政策がどのような特徴をもつかといった点について話し合った。さらに、同学部のガモンティップ・ヂャムグラヂャン助教授との面会では、近年のタイ社会において「コミュニティ福祉」と呼ばれる運動が盛り上がっている状況や、その具体的な事例についてもご教示いただいたほか、申請者の研究に対する助言もいただいた。
また、チェンマイでは、D寺での調査に前後して、チェンマイ市内で研究者数名と話し合いをおこなった。まずは、申請者が2004年〜2006年の二年間に長期フィールドワークをおこなった際の受入教官、チェンマイ大学社会科学部ヨット・サンタソムバット教授と面会し、タイの宗教と社会福祉に関する人類学的研究の可能性について話し合った。続いて、同大学人文学部のピシット教授とウィロート教授の二人はそれぞれ仏教思想・哲学研究の観点から、具体的にD寺の事例を中心として、北タイ地域およびタイ社会全般にみられる「開発僧」(phra nak phatthana)について、その思想的な拠りどころや社会的背景などについて説明してくださった。特に、ウィロート教授は、D寺の現住職とともにチェンマイ市内のある寺院で、D寺の前住職の教えのもとに出家生活を送っていた兄弟弟子の経験をお持ちであることから、単に学術面でのアドバイスにとどまらず、過去の状況をいろいろと教えてく下さったことは大変有益であった。
<図書館での文献収集など>
バンコクでは、受入教官の助言にしたがい、ヂュラーロンコーン大学附属図書館やタマサート大学附属図書館にて、タイの社会福祉政策に関する文献や資料(新聞記事や雑誌記事を含む)を幅広く閲覧し、必要に応じて複写もおこなった。そうすることで、政府政策の側による仏教の役割への期待があるかどうかというだけでなく、近年のタイにおける福祉政策の変遷を広く検討することができた。また、日本の図書館では所蔵されていない、現地語雑誌『社会福祉学』(タマサート大学社会福祉学部出版)のレビューを行なうことで、タイの社会福祉に関する研究の推移を把握することもできた。
続いてチェンマイでは、チェンマイ大学附属図書館やマハーヂュラーロンコーン仏教大学附属図書館にて、特に北タイ地域にフォーカスを当てた資料の収集に努めた。たとえば、北タイ地域における「開発僧」の模範例としてしばしば言及されている二人の僧侶、プラ・ラーチャプッティヤーン師やプラ・テープガウィー師についての資料を収集した。ほかには、北タイ地域での僧侶の福祉活動に関する論考について、地方新聞や雑誌記事の検索をおこなった。
また、バンコクに戻った後は、社会開発安全保障省社会開発福祉局を訪問し、同局が発行する年次報告書を過去三年分(2003年〜2006年)入手した。
<D寺およびその周辺での聞き取り調査>
チェンマイでは、チェンマイ市内での研究者との話し合いおよび図書館での資料収集のほかに、1週間ほどD寺周辺でフィールドワークをおこなった。その際、D寺での僧侶の福祉活動については、D寺が現在のように福祉活動で名を馳せるようになったきっかけや当時の背景、また僧侶自身の見解を明らかにするため、D寺で二世代にわたってこの分野をリードしてきた現住職と若手僧侶の二人にインタビューした。また、住民たちについて今回の調査では、親族や近隣者の説明にしばしば見られる、組織化されない「助け合い」(chuai kan)のかたち以外のものに着目し、葬式組合(chapanakit songkhro)のように明確なメンバーをもつ互助的な組織について聞き取りをおこなった。聞き取りを通して、D寺住職が設置した「庇護のもとの基金(kong thun rom bai bun)」など、僧侶による福祉活動の果たす役割について直接的、間接的に調査をおこなったが、結果的には地域住民の関心はかなり低いと言わざるをえないことがみえてきた。
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