ポスター発表

ポスター発表

博物館資料の収集地における活用の実践:台湾を事例として

発表者所属名
文化科学研究科地域文化学専攻
発表者氏名
野林 厚志

 国立民族学博物館(民博)には台湾の原住民族に関連した標本資料が約5100点所蔵されており、それらの大半が1895年から1945年にいたる台湾の日本統治時代に、主として研究者によって収集されたものである。民博は台湾の私立博物館の順益台湾原住民博物館(順博)と協働し、本年6月より、民博の収蔵資料を用いた国際連携展を開催した。台湾原住民族の民具や工芸品を中心に193点を選び出し、台湾原住民族が伝えてきた芳醇な工芸文化、原住民族の物質文化に魅せられた研究者たちの営為、文化資源としての原住民族資料を伝えていく重要性といったことを展示会の主題として、研究成果の一端を社会に発信する試みを行った。
 台湾では1980年代後半から、世界の先住民の動きに連動するように、原住民族の権利をめぐる社会運動が生じ、その結果、彼らの社会的な立ち位置が変化してきた。とりわけ、原住民族(台湾の先住民族の正式な名称)の認定をめぐる条件の中には、「伝統的」な物質文化に関するものも含まれている。民博の資料は少なからずこうした物質文化に関わっており、それらが台湾の原住民族の人々にとってどのような意味をもちうるのかということを考えることは、博物館の責任の一つであると考えてよい。今回の展示会を開催するにあたり、最も慎重を期したのもこの点であった。具体的には、展示する資料はなるべく収集地が明確なものを選ぶか、関連した文献資料や収集者のフィールドノートなどを参照しながら、収集地を正確に推定していく作業が必要となった。結果的にはこのことが展示会の性格をより現地での実情にあわせたものとした。例えば、2007年にタイヤル(Atayal)という大きな民族グループから分離したセデック(Sedeq)の資料を、民族名ではなくその収集地を記載することによって、収集当時に研究者が認識していたものとは異なる現在の状況に矛盾しない説明を加えることが可能となった。一方で、資料の社会的な脈絡を既存の民族誌を用いて説明を加えた解説には批判が与えられることもあった。民族誌は特定の民族、とりわけ限られた地域や集団に関わる記述である。したがって、それらの中から情報切り出し、一般化した記述をするためには、地域や集団の差異による矛盾が生じないような民族誌的情報の蓄積が必要となることがうかがえる。研究者にとって博物館や資料館に収蔵されている資料は学術資料であるが、それらが由来する土地の人々にとっては、学術資料というラベルは第三者がそれを認識した結果、ものに付加した外的属性にすぎない。在来の価値観と学術という外的価値観の両方は時に資料をとりまく人々に矛盾を与えることもある。
 筆者にとって、これまで行われてきた「文化を展示する」ことに関わる議論は、1990年代から盛んに行われてきた「文化を記述する」ことに関わる議論の延長線上にあったにすぎないと思われる。一方で、博物館の展示は、標本資料を見せることがその根幹をなすことは言うまでもない。「文化を展示する」のではなく、学術資料の展示から、当事者の社会や歴史の一端が理解されるという認識をあらためて強調しておきたい。そうした意味においても、「資料を展示する」ことの理論と方法とを批判的に再検討することが必要になるであろう。これは、「文化を展示する」という議論が抽象的な結論にとどまりやすいことにたいして、より実践的な博物館展示の営為に結びつくことが期待できると考えている。