ポスター発表

ポスター発表

日本の近代化とプロテスタンティズム

発表者所属名
国際日本研究専攻・国際日本文化研究センター
発表者氏名
上村 敏文 (国際日本文化研究センター客員准教授)

 研究の内容

 開国、そして明治維新により、日本の近代化は急速に進んで行った。一般的に近代化とは、欧米の科学技術を中心とした物質文明の受容といえる。一方、文化面においても文学、哲学、教育、音楽等の文化面も日本の社会構造に大きく影響を及ぼした。しかし、キリスト教に関しては、欧米各国からの宣教師派遣により特に教育方面に大きな影響力を発揮したものの、「質的」変化はともかく日本文化の中に「量的」には浸透するにはいたらなかった。
 そもそも、日本における近代化とは何であったのかについて、まず、江戸末期から歴史的、思想的、文化的見地からその内容について具体的に検証する。特に18世紀の世界情勢と日本の幕藩体制、そしていわゆる鎖国時代に培われた日本人的精神性、特に「武士道精神」がいかに形成され、その「武士道精神」が明治以降にどのような影響を及ぼしたのか。札幌、横浜、熊本に代表されるいわゆる「バンド」の形成は、旧士族の子弟を中心としていた。明治初期、中期においてプロテスタンティズムを受容したのが内村鑑三、新渡戸稲造、植村正久等、旧士族階級を中心としたのは何故か。その検証を踏まえた上で、日本では、何故にキリスト教が、他国との対比において「量的」には受容されてこなかったのか、そしてこの傾向は今後も続いて行くのか。あるいは、東アフリカのタンザニアに見られるように、1960年代にイギリスから独立を果してから、急激にプロテスタント、特にルーテル教会が伸びたような劇的な変化が訪れてくるのか。いずれにせよ、先進国といわれる国の中で、あるいは東アジアの中でキリスト教を受容しなかったのは日本だけともいえる。隣国の韓国は近代化の過程でキリスト教が大きな働きをしたし、また、中国でも都市部だけでなく、農村部でも急速にキリスト教が伸びている。一方、同じ「日本人」でも、日系ハワイ人の社会ではキリスト教は受容された。文化人類学の観点から、もっとも辺縁の地域において逆に中核的な文化を見ることができるという立場に立った時、ブラジルの日系社会はどのようになっているかについても同時に調査を進める。
 当研究会においては、キリスト教側だけの視点ではなく、反対の立場、そして神学的考察というよりは、むしろ文化的、歴史的考察において、日本の近代化におけるキリスト教、特にプロテスタンティズムの果たした役割について再確認しつつ、社会構造としてプロテスタントがどのような位置にあるかを検証する。同時に実際に、文化を担っている演奏者の参加も求め、その実技を通してそれぞれがどのような立場で、演奏活動をしているのかを論じ、日本における必然性を考察する。