
現存最古の洛中洛外図屏風(らくちゆうらくがいずびようぶ)として知られる「歴博甲本(れきはくこうほん)」(国立歴史民俗博物館蔵)には、個人を 特定できる人物像が描かれており、そこから絵の主題や制作の目的が分かってきました。
室町幕府管領。細川政元の養子で、政元が暗殺された後、細川澄元との闘争に勝利して政権を握る。1525年(大永5)出家して息子のたねくに稙国に跡を譲り、擁立した足利義晴には新しい御所を築く。
細川高国の息子。1525年4月に高国から家督を譲られるが、同年10月に急死。それによって絵の年代も特定できる。右は家臣の薬師寺国長か。
室町幕府第12代将軍。京都を追われた11代将軍義澄の子。細川高国によって、11歳の時に将軍とされた。
内裏(だいり)の上﨟(じょうろう)(最高位の女官・後宮構成員)候補だったが、幕府の懇請で将軍家の上﨟となった。将軍御所が完成した際、足利義晴と同時に入居し、「一対(いちのたい)の局(つぼね)」と呼ばれた。
この屏風は三条家に伝来したので、彼女への贈り物だったのかもしれない。
狩野永徳(かのうえいとく)の祖父。狩野派の大成者として知られる。描かれている場所は「狩野殿辻子(かのどのずし)」という通りで、元信の屋敷があった所。扇座の代表でもあった。
この絵は、細川高国が、1525年(大永5)に、将軍足利義晴のために新たな御所を建て、息子の稙国に家督を譲り、自らが打ち立てた政権とその統治下で栄える京都のありさまを描かせたものと考えられます。
(参考文献:小島道裕『描かれた戦国の京都─洛中洛外図屏風を読む─』吉川弘文館、2009年)
※掲載した写真は、いずれも「洛中洛外図屏風歴博甲本」(国立歴史民俗博物館所蔵)