ポスター発表

ポスター発表

私領における「生類憐み令」の伝播の一端

発表者所属名
国際日本研究専攻(国際日本文化研究センター)
発表者氏名
門脇 朋裕

 報告者は、主として江戸幕府法と藩法の相互関連性について研究を進めている。具体的には、幕府全国法令が私領たる藩にどのように伝達され、取り入れられ、公布されたのかという施行状況の問題である。今回の発表は、「生類憐み令」を題材とした研究成果の一部である。

 1.「生類憐み令」について

 「生類憐み令」は、一般的に「江戸幕府五代将軍綱吉の時代に発せられた生類憐みに関する幕法の総称」と定義されている。つまり、「生類憐み令」と呼称される単独の法令は存在せず、「生類憐み」という政策の趣旨にのっとった諸法令の総称と考えられている。法令の対象となった生類については犬が著名であるが、実際は犬ばかりではなく、牛、馬、鳥類、など多岐に渡っている。

 2.本研究の目的

 一般的に「生類憐み令」は、当時の綱吉政権が重要視した政策に基づくものであり、広く公布され遵守されていたと思われている。しかし、当該法令は幕府膝元の江戸では多くの法令が発布され、周知徹底が図られていたが、大名領(藩)においては必ずしも厳格に施行されたとは思われない。なぜなら、幕藩体制下での藩は独自の法制定権が認められており、幕府法が藩の法制に取り入れられる際に各藩の領内統治の状況により変容する可能性があるからである。
 本研究では、時の政権が重視した法令が各地域においてどのように取り扱われてきたのかという点に焦点をあて、いくつかの地域を比較検討し、「生類憐み令」の性質と私領における幕府法の伝播についてまとめたものである。

 3.江戸と私領における「生類憐み令」の伝播状況

 ポスターの図は、江戸と小田原、福島、盛岡の三藩における「生類憐み令」の発布状況を図表化したものである。図についての説明はポスターに記した通りだが、小田原藩は史料の関係で元禄10年までのデーターであることを断わっておく。
 本図表作成に用いた史料であるが、江戸については、山室恭子『黄門さまと犬公方』(文春新書)に全面的に依拠した。小田原は「大久保加賀守様御入部以来御条目」(写真版、神奈川県立公文書館蔵)、福島は「年寄部屋日記書抜」(マイクロフィルム版、雄松堂フイルム出版)、盛岡は『盛岡藩雑書』(熊谷印刷出版部)五~九巻を用いた。
 図を参照すると、私領三藩と比べて江戸での発布数が突出しており、私領においては幕府法令をすべて受け入れていたわけではなく、法令を取捨選択していたことがわかる。また表右側から私領においては対象生類が比較的均等なのに対し、江戸では犬と鳥類の数が多くなっている。また、一般に著名な犬よりも鳥類に関する規定の方が多いという事実もみられる。
 最後に「生類憐み令」を例とした私領三藩の幕府法継受の傾向をまとめると以下の通りである。
小田原藩=幕府制定法令を尊重しつつ、地域慣習などの藩内事情を考慮した独自の法を制定。
福島藩=法令趣旨は幕府法に依存し、藩で幕府法を改編し公布。藩主の個人的立場が法制定に影響。
盛岡藩=幕府法に手を加えずそのまま継受するが、藩内事情を考慮し発布する法を選定。
 以上のように、私領における幕府法継受は藩によってその扱いが大きく異なっていたのである。