ポスター発表

ポスター発表

溝口健二『赤線地帯』(1956)の音響デザイン

発表者所属名
国際日本研究専攻・国際日本文化研究センター
発表者氏名
長門 洋平

 1、「赤線地帯論争」

 本発表では、溝口健二(1898-1956)監督の遺作『赤線地帯』(1956)の音楽/音響についての考察を行う。以下にその梗概を示す。
 『赤線地帯』(以下『赤線』)の音楽は、作品発表直後に映画批評の老大家・津村秀夫と同作の若き作曲家・黛敏郎との間で交わされた「赤線地帯論争」で有名である。電子楽器クラヴィオリンとスティール・ギター、ミュージカル・ソウを使用し、ウェーベルンの点描主義的な「12音技法」を用いて書かれた『赤線』の音楽は、現在に至るまで人を困惑させその神経を逆撫でする力を持っている。
 『週刊朝日』1956年4月1日号にて津村は、「黛敏郎の音楽が大誤算で作品に合わず、せめてこの失敗がなかったらと残念である」と『赤線』を酷評した。これを受け当の黛が、貴方のような古臭い「永井荷風調の」審美眼で「主観批評」をされては堪らないと、同誌読者投稿欄にて反駁。それに答えて津村は、あの「リアリズム映画」に「おひゃらかしたようなカイギャク味」のある君の音楽が全く合っていないことがまだ分からないとは「何たる情ないことか」と嘲笑した。さらに答えて黛は、現代の映画は「画面と音楽の(中略)対決によって(中略)新しい表現を打ちたて」ようとしているのだと再反論。“アプレゲールの反逆児”黛は、批評界の権威に向かって「貴方の感覚のずれ方のひどさは並大抵のものではありません」と喝破した。黛の渡欧の為に同論争は決着を見ずにここで終結。

 2、黛敏郎と溝口健二

 黛敏郎(1929‐1997)は、戦後日本作曲界の若きスターである。フランス新古典主義からヴァレーズ、メシアン、さらにはジャズやラテン音楽までを取り込んだその作風は早くより注目され、武満徹に先駆けて世界的な評価を得ている。同時代のシェフェールやシュトックハウゼンらの実験に影響を受け、日本で最初のミュージック・コンクレート及び電子音楽作品を書いたのも黛である。『花のおもかげ』(家城巳代治、1950)を皮切りに映画音楽にも手を染めるようになり、『カルメン故郷に帰る』(木下恵介、1951)、『幕末太陽傳』(川島雄三、1957)、『豚と軍艦』(今村昌平、1961)、『東京オリンピック』(市川箟、1965)等、日本映画史上の多くの名作に音楽をつけた。テレビ番組『題名のない音楽会』のダンディな司会者として一般に広く知られるも、友人・三島由紀夫の自決を契機に右傾、政治的発言の頻繁とになるのに反比例して作曲活動は縮小していった。
 溝口は『噂の女』(1954)で黛を起用。「画面をあざけ笑うような音楽にしてください」との溝口の指示を受け、黛言うところの「客観主義的映画音楽」―「観客の意識に客観性をもたせる」音楽―を作曲した。『赤線』ではこの方法論を極限にまで推し進めるが、これには溝口もいささか「面食らった」、らしい。

 3、『赤線地帯』の音響デザイン

 黛手書きの譜面を分析した限りでは、同作の音楽は厳密な12音技法では作曲されていない。しかし、12音で構成された音型は存在しており、「12音音楽風」であることは相違ない。奇天烈な女声ヴィカリーズと不安定にグリッサンドするミュージカル・ソウ、そしてスティ-ル・ギターの電気的な音響が機能和声的な関連付けを欠いたまま点描的に配置されるこの奇妙な音楽の効用は、第一に画面の「異化」(ブレヒト)である。加えて、この音楽は劇の情動的な高揚を抑え、作品を平板化する作用がある。これは、『赤線』を「喜劇」と捉えていた溝口の意向を、黛が汲み取った結果に違いない。画面の「意味」を映画音楽によって固定=「投錨」(ロラン・バルト)することを避ける傾向のある―とりわけ戦前の『浪華悲歌』(1936)から『残菊物語』(1939)に顕著―溝口の、これは晩年の新境地であり、同作は日本映画(音楽)史上最もアヴァンギャルドな作品の一つとなった。