ポスター発表

ポスター発表

沖縄戦の遺骨と死者の記憶

発表者所属名
日本歴史研究専攻・国立歴史民俗博物館
発表者氏名
村山 絵美

 ■戦死者の遺骨のゆくえ -沖縄本島中南部地域での遺骨収集から-

 アジア・太平洋戦争において沖縄では、軍人、軍属、民間人を含め約20万人以上もの死者を数えた地上戦が展開された。戦後、地域の人々や琉球・日本政府、宗教団体や遺族会、戦友会などボランティアの人々の手によって、戦死者の遺骨収集が行われてきた。現在でも、ガマ(洞窟)の落盤などの理由から、約4000体以上の遺骨が未収骨であるとされ、遺骨収集が続けられている。
 多くの遺骨が収骨されてきたが、その大半は、遺族のもとへ帰るのではなく、身元不明者として国立戦没者墓苑の納骨堂に収められている。沖縄の人々でさえ、家族や友人の遺骨を収骨できた遺族は少なく、他都道府県出身の日本兵に関しては、その遺骨が家族のもとに帰ることはほとんどなかった。戦死者の遺骨は、身元を明らかにすることさえ困難な状況に置かれていたといえる。そのような背景のもと、戦死者の遺骨を家族のもとへ帰すことを目的として、遺骨収集を行っている遺骨収集ボランティア団体Aの活動がある。本報告では、遺骨収集ボランティア団体Aの実践から、現在において戦死者の遺骨が家族のもとへ帰ることについて、報告者のフィールドワークをもとに発表したい。

 ■遺骨を家族へ帰すこと -遺骨収集ボランティア団体Aの実践-

1.遺骨収集ボランティア団体A
 2006 年にNPO法人として結成される。ボランティアメンバーは約20名であり、県内出身者だけでなく、県外の遺族も参加している。メンバーは40~50代が中心であり、非戦争体験者によって構成されている。団体Aが遺骨収集を行う際、遺骨の周辺に氏名の書かれた遺品がないか丹念に探す。日本兵の場合は、認識票や印鑑などの持ち物から氏名が分かる場合があるが、住民の場合は、氏名の分かる遺品すらなく、沖縄戦当時の様子を知っている体験者の証言が頼りとなる。身元が判明し遺族に連絡が取れた遺骨は、非常に少ない。


2.遺骨の身元が判明したケース
 2009年6月、団体Aが沖縄本島中部の陣地壕において遺骨収集をしていたところ、日本兵と推定される遺骨の側から認識票と印鑑が見つかった。印鑑に刻まれた氏名と認識票の部隊を頼りに遺骨の身元を探したところ、遺骨の身元が判明し、遺族に連絡をとった。2週間後、遺族である長男(68歳)らが沖縄へ遺骨を迎えに来た。遺族は、遺骨が発掘された壕を訪れ、遺骨を骨壺に納めた後、戦死者にゆかりの場所を訪問した。


3.遺骨と対面した遺族
 遺族である長男にインタビューを行ったところ、戦死した父親や戦争については家族の間で考えないように封印してきた記憶だったという。当時4歳であった彼は、写真にみる父親の姿しか知らず、父親について母親と話をしたことはほとんどない。今回、遺骨と対面することによって初めて父親が生きていたということを実感し、父親と出会ったような感覚になったという。父親と「出会う」ことで、これまで避けていた戦争の記憶と向き合う準備ができたと語った。この遺族の場合、遺骨との対面は、慰霊という側面だけでなく、死者の生前の姿や戦争の記憶を想起させる契機ともなっている。遺骨を家族のもとへ帰すことで初めて、遺族は戦争の記憶と向き合えるようになったといえよう。