私が今回、海外学生派遣関連事業から支援を受けて参加した「中日音楽比較国際シンポジウム」は、日中両国の音楽研究における学術交流を目的に、隔年で開催されている研究大会である。今回は第七回目の開催にあたり、「中、日伝統音楽の歴史と現状及び両国の交流」、「中、日音楽教育の歴史と現状及び両国の比較」というテーマで発表論文の募集をおこなった。 シンポジウムは中華人民共和国湖北省にある中国武漢音楽学院を会場とし、参加者は、日中両国合わせて約70名にのぼる規模となった。 シンポジウムは9月8日朝に開幕し、基調講演ののち個々の研究発表がおこなわれた。8日夜には武漢音楽学院の職員・学生による演奏会が開催された。9月9日は研究発表にはじまり、夜に大会を総括するシンポジウム「」(中・日音楽の対話と交流)が催され、この会について、両国の音楽研究について、活発な討論が繰り広げられた。残る二日間では、博物館などで、湖北省における音楽関係の出土品を見学し、復元演奏を聴く時間がとられた。 このシンポジウムの特徴は、日中両国の学術的交流を主な目的としているため、使用言語が日本語及び中国語であることだろう。それぞれ、参加者の中から発表に通訳がつき、発表内容を適宜訳しながら進めるという方針を採っている。 私の発表は横浜中華街における中国伝統芸能の実践を扱ったもので、第2日目の 「」(中 ・日文化産業の研究)のセクションに配置された。このセクションには、ほかに「19世紀後半の万博における「日本の音楽」の展示」や「中日両国芸術大学音楽庁の利用状況個案よりの比較研究」といった発表がおこなわれた。前者は万国博覧会で展示された「楽器」に「日本的なもの」や、当時の輸入概念であった「music=音楽」のありかたを探る発表、後者は東京藝術大学奏楽堂と中国戯劇学院劇場の利用状況―演目、利用者数、利用日数など―を比較し、その経営の差異と、中国における学校の付属ホールが目指すべき発展の方向を示唆する発表であった。 日本からの参加者は、日本伝統音楽や日本の洋楽受容史を専門とする若手研究者が多くみられた。対して、中国からの参加者は、中国と日本の音楽に関する制度の比較、洋楽受容期の日本についてなど、日本に関わる研究が目立つように感じられた。その感覚は中国側参加者にとっても実感されたようで、2日目夜の自由討論においては、「中国の研究者が日本の音楽を多く扱っているのに対し、日本の研究者がなぜ中国の音楽を研究しないのか」という問いが中国側の研究者から発せられ、会場ではさまざまな意見が飛び交った。 確かに、現在の日本において、中国の伝統的な音楽を研究する人材はとても少ないといえる。日本側の研究者は、その理由を、20世紀半ばに中国に分け入って偉大な業績を積み重ねた先人たちのような研究がもう不可能になっていることや、若手研究者が、伝統的な音楽以外に目を向け、フィールドを中国に置いていても、現代の都市の音楽や少数民族の音楽などに、より関心を持っていることなどを挙げて説明していた。しかし、中国側からは、今ひとつ合意の得られない空気が流れた。 私はこの論争を聞き、主に二つの要因を見出した。まずは、先に挙げた意見の通り、日本の若手研究者が音楽に関して抱く関心が、伝統的な音楽の理論や楽器の研究から外れていっていることである。日本における音楽研究は、20世紀末に近づくにつれ、社会学や人類学、メディア論やカルチュラル・スタディーズの影響を受けて、より「社会と音楽の関係」を重視する方向に発展してきた。特にethnomusicology(民族音楽学)という分野においては、音楽や音は社会という脈絡のなかでこそ機能するということが、当然のように語られつつある。それに沿って、東アジアの音楽に対して抱く関心の幅も変容していったと考えられる。また、中国におけるフィールドワークが困難であった時期が長く、それ以前の研究の水脈が途絶えてしまったことも大きいと考えられるだろう。 次に、「音楽に関する研究」や「民族音楽学」という同じ語を用いていても、それが指し示すものには、両国間で大きな溝があるという点が挙げられる。前者は私自身の発表にかかわることであり、後者はこのシンポジウムから得られた大きな収穫であるので、それぞれ次の欄、及びその次の欄において報告したい。
前々欄で述べたシンポジウムの討論において、日本における中国音楽研究とともに大きな論争となったもうひとつの議題が、「民族音楽学」という語の日中における差異についてであった。現在、日本の学術領域において用いられている「民族音楽学(音楽民族学)という語は、英語のethnomusicologyの訳語であり、内容もほぼ対応している。日本においては、「民族音楽」という語は、どちらかといえばレコード会社によって作られた商業的な分類として機能している。 しかし、中国語圏において「民族音楽」とは、「中国における(少数)民族の音楽」であるということを以前から聞き及んでいた。ここで出された問いは、“ethnomusicology”という語の輸入が、中国においては、従来の「民族音楽」と衝突し軋轢を生み出したが日本ではそれがなかったのか、というものであった。前欄で述べたように、中国の音楽研究においては、自国の音楽理論の研究がかなりのウェイトを占めていると考えられる。そして、欧米におけるethnomusicologyは「世界民族音楽」と訳され、音楽学のごく一部として教えられているという現状を知ることができた。 私は比較文化学専攻に所属しているが、キャンパスである国立民族学博物館は、日本における文化人類学の中枢として機能している。音の聴取や環境をテーマとする自分自身にとって、民族音楽学と文化人類学がゆるやかにつながっていることは自明の研究環境であった。しかし、今後フィールドとして考えている中国語圏において、両者の間には日本よりも大きな溝があることを知りえたことは、これからの自分自身の研究スタイルを大きく考え直す契機を与えてくれた。 そして、本シンポジウムで発表した、都市の音環境について、中国の音楽研究者から興味を持たれたことは、今後この領域に携わっていくための大きな原動力となった。 都市の音環境と人々の音楽聴取について今後調査を進める上で、音楽の「分類」という問いにもたびたびぶつかることが予想される。また、人々が音楽をどのような分類で聴いているのかという点からは、さまざまな要素が読み取れるだろう。その点で、「民族音楽(学)」という用語の使用法が日中で大きく異なることを実感できたことも、大きな収穫である。この問題は、日本においては、研究者の分類と商業的な分類として論じられてきた。アメリカにおいても、ワールド・ミュージックという語についてはさまざまな研究がなされている。中国における「(世界)民族音楽」という語の考え方を念頭に置いて研究を進めていくための手がかりを、本シンポジウムから、リアリティをもって得ることができたことも、今後、博士論文に向けて調査を進めていく上での重要な収穫であったと考えている。