平成26年度 学生派遣事業

秋山 かおり(日本歴史硏究專攻)

1.事業実施の目的

ハワイ日系人の太平洋戦争体験に関するオーラルヒストリーの裏付けとなるハワイ軍政府の公文書類、ならびに日系人抑留者へのインタビュー記録の収集。また、ハワイから自主的にアメリカ本土へ渡った家族収容体験者たちと戦時抑留・強制立ち退きに対する補償(リドレスと呼ばれる)運動に参加した人びとへの聞き取り調査を行い、博士論文においてハワイでの強制収容をめぐる体験の描写を詳細にし、この件に関する歴史認識についての共有について分析する。

2.実施場所

アメリカ合衆国ハワイ州ホノルル市ハワイ日本文化センター、ハワイ大学マノア校はミルトン図書館ほか

3.実施期日

平成26年10月24日(金)から10月31日(金)

4.成果報告

事業の概要

 本事業における調査では、資料収集と聞き取り調査を主に行った。

 まず、ハワイ日本文化センター資料室では以下の2種類の資料収集を行った。①ハワイ日系人の太平洋戦争体験に関するオーラルヒストリーの裏付けとなるハワイ軍政府の公文書類②日系人抑留者へのインタビュー記録を含むオーラルヒストリー。

 ①については、資料名Japanese Internment and Relocation File: The Hawaii Experienceという約430件に整理されたハワイ軍政府公文書、アメリカ連邦政府公文書、電報、電話記録、抑留所視察報告などから構成される資料群の閲覧・撮影を行った。元々これは、1970年代にアメリカ国立公文書館へ調査に入ったハワイ大学のデニス・オガワ教授の調査団が複写してきたものであり、今回は、ハワイとアメリカ本土の抑留所の抑留対象者の移動に関する資料を中心に撮影した。

 また、②は、資料名Patsy Saiki Collectionという資料群であり、教育学の研究者でありながら作家でもあったパッツィ・サイキが、“Ganbare! An Example of Japanese Spirit” (1984) というハワイ日系人強制収容を扱ったノンフィクションを執筆した際の54人へのインタビュー記録と関連資料から成り立っている。実名とインタビュー記録がタイプ打ちされているカードが人物名ごとに整理されており、閲覧後、撮影した。

 さらに、ハワイ大学のハミルトンライブラリーでは、マイクロフィルムで閲覧できる地元紙のHonolulu Star-Bulletin の1945−47年の記事で、ハワイにアメリカ本土の抑留所から帰還した人びとの関連報道を中心に収集した。

 また、聞き取り調査では、以下の二つのグループ①ハワイから自主的にアメリカ本土へ渡った家族収容体験者②1980年頃に戦時抑留・強制立ち退きに対する補償(リドレスと呼ばれる)とその運動に参加した人びとへの調査を予定していたが、②のグループへの調査はハリケーン上陸のため中止になってしまい、その代わりに連絡のついた父親がアメリカ本土の抑留所へ収容されたハリエット・マスナガ氏の体験を聞くことができた。ここでは、①の聞き取り調査について報告する。

 この家族収容体験者とは、父親が戦時強制収容で抑留されアメリカ本土の収容所へ移送されたのちに、家族がともに暮らす事を決めてハワイからテキサス州のクリスタルシティ転住所に赴き、そこで戦後まで過ごした人びとである。その人びとの同窓会が1年に2度、ハワイ浄土宗別院のクリフォード宮本氏の呼びかけで恒例化している。この同窓会では、それぞれがプレゼンテーションを用意し、抑留所時代の写真、また自身で調査したことなどを持ち寄り、体験を共有している。この同窓会へは初めての参加だったが、彼らが当時を振り返り、ハワイへ帰還した際に感じたことや、クリスタルシティ転住所の様子などを聞くことができた(写真)。

本事業の実施によって得られた成果

 ハワイ日本文化センター資料室で収集した公文書からは、主に以下のことが明確となった。①ハワイ軍政府(ハワイは太平洋戦争当時準州であった)とアメリカ連邦政府との間では、常に抑留者の移送について個々のケースについてやり取りが行われていた。②サイキが採集したオーラルヒストリーからは、例えば、ハワイ・ホノウリウリ抑留所に収容されていた日系人抑留者が戦争捕虜の食事の世話などをさせられたことに関する体験が明らかになった。これについては平成26年12月6日の同時代史学会年次大会での自由論題報告で、このオーラルヒストリーを引用して発表した。そのほかの資料でも、ハワイ日系人強制収容を遂行する上で、ハワイ軍政府内でどのような議論や懸案があったのかを示す資料もあり、博士論文執筆においては当時のハワイ住民が置かれた状況を説明するのに有効だと考える。

 また、クリスタルシティ転住所の同窓会への参加をし、家族収容を体験した人びとが戦後70年近く経った今も、当時の体験を共有することの必要性について考えさせられた。すでに75歳を越える彼らのなかにも、独自にアメリカ国立公文書館で調査をした方もあり、自分たちの身の回りに起こった「戦争による一時的な移住」が生まれた背景について現在も理解しようとしている。

 この転住所からは、日本へ戦時交換船で帰国し、戦後になってハワイへ戻った人びともあり、終戦直後の日本の様子を日本語で聞くという貴重な体験も得た。彼らにとってこの同窓会は、テキサス州クリスタルシティ抑留所で過ごした日々をそれぞれの戦後の経験の出発点として思い返し、互いに励まし続けている場として機能している。このような人びとに会うことにより、戦時強制収容はその当事者の家族にとっては、いまだに終わっていない経験なのだという実感を持ち、彼らの視点から抑留者が残していない部分の強制収容の記録を補うことが可能だと考えるにいたった。

本事業について

 この事業に参加できることができ、これまでの調査で撮影が完了できなかった資料 “Saiki Collection”について撮影を完了することができたことは幸いであった。