平成26年度 学生派遣事業

永越 信吾(日本歴史研究専攻)

1.事業実施の目的

戦国期の城下町である大分府内町遺跡の発掘現場を調査し、遺跡の具体的な在り方を把握するとともに、現地担当者と議論する。それと共に大分市歴史資料館で大分府内町遺跡出土資料を実見する。

2.実施場所

大分府内町遺跡(大分市顕徳町・金池町)、大分市歴史資料館(大分市大字国分960-1)

3.実施期日

平成27年2月12日(木)から2月14日(土)

4.成果報告

事業の概要

 大分府内町遺跡の調査は、戦国大名大友氏が居を構えた大友氏館跡、町場の今在家町地区の発掘現場を中心に行った。大友氏館跡では中心建物の位置を確認し、庭園遺構の検出状況を観察した。館内は発掘されていない区域が多く残されているが、現場担当者との意見交換から、館の凡その構造が把握できた。最盛期(16世紀第3四半期)に一辺200m規模となり、庭園跡が南部にあり、中心建物が館中央に位置することから、その間の空間に建物跡群が予想される。庭園遺構は南北66m、東西24mの巨大な池を伴うもので、大名クラスの居館のステイタスを示唆するものと認識した。こうした庭園の有無、館全体の規模、建物遺構の在り方などが居館主の階層を考える上での指標となるものと考える。

 今在家町地区は大友氏館跡南方に位置し、古絵図に描かれた道に比定される道路などを調査した。大分府内遺跡は古絵図に東西、南北の複数の道が碁盤目状に描かれていたものが、ほぼそれを踏襲して検出されている。この地区では、砂、土を相互に盛って道を構築している状況や道路に沿った礎石列、また井戸の集中する地点も観察して町場の遺構の在り方を捉えた。今在家町地区では、天正18年(1586)の島津氏侵攻に伴う焼土層が残っており、遺構の下限を把握することができた。

 また、大分府内町遺跡南方の台地上に立地する上原館跡も調査し、立地や土塁の遺残状態を観察した。塀で区画されただけの防御性の弱い大友氏館跡と対照的で、時期的に平行する可能性があることから、詰城的性格も考慮される。

 大分市歴史博物館においては、大分府内町遺跡で出土した華南産陶器などの遺物を実見した。他ではあまり例のない陶磁器である。こうした舶載陶磁器を通し、大分府内町遺跡の貿易都市という特徴を認識することができた。

本事業の実施によって得られた成果

 今回、戦国大名の館を中心に形成された都市遺跡の様相を捉えることができた。大分府内遺跡は政治、経済の中心であり、こうした要素が大友氏館跡や町場の遺構、あるいは出土遺物に反映されていた。博士論文では、集落を中心に研究を進めているが、集落遺跡と都市遺跡の対比も行う必要がある。今回の調査では、発掘現場を実見し担当者と意見交換することで、都市遺跡の在り方を捉える一助となった。

本事業について

 現地調査にあたって本事業を活用できたことは実に有益であった。こうした調査は今後も継続していく必要があるため、この事業には引き続き参加したいと考えている。