平成26年度 学生派遣事業

劉 征宇(地域文化学専攻)

1.事業実施の目的

現地調査や博論執筆のための資料調査

2.実施場所

東京

3.実施期日

平成26年 6月11日(水)から 6月21日(土)

4.成果報告

事業の概要

 今回の東京で行った調査活動は国会図書館、東洋文庫図書館などにおいて天津地域及びその住民の食事生活に関する歴史資料及び先行研究を収集することであった。具体的には:

1)国立国会図書館において、天津に関する地図、雑誌で掲載されている写真及び先行研究の資料を収集した。入手した資料は、『中国画報』(1954~2000)で掲載されている中国、特に天津住民の食事風景に関する写真や天津に関する先行研究などの資料であった。さらに、天津地域の食糧生産や対外貿易などの研究論文を複写した。

2)東洋文庫図書館において、社会主義期(1949~)における天津地域の統計資料を収集した。具体的には、1949~1983年における天津市の人口統計、年間収入及び食事支出などのデータを複写した。

 今回の調査で入手した資料から、以下のことが分かった。社会主義期における天津地域の社会構造、地域文化や都市生活は中心政権から強い影響を受けて、住民の食事生活もイデオロギーによって制約されてきた。配給政策が実施された約四十年間(1953~1993)における、都市住民は配給券しか使わず、穀物や油、肉禽や卵類などの日常食を定量的に買っていた。共産党の幹部(cadre)、高級の知識分子や軍人などの中・上流家庭には毎月分の食糧配給が充分であり、米麦、肉禽や野菜などの食品もある程度で豊かになった。それと比べて、ギリギリの配給をもらえた庶民たちは食費を切り詰めたため、トウモロコシ粉の蒸しパン、粟飯や豆類などの「雑穀」及びナスやキュウリ、ジャガイモやハクサイなどの季節によってやすかった野菜(またその漬け物)を主な日常食として食べていた。さらに、市場に(豚)肉のわずかな供給量と地元の豊富な水産資源によって、高価な肉類の代わりにより安い川の魚介類のおかずも下流家庭の日常食卓によく見られた。そのような階層的な差異は、年中行事や冠婚葬祭の食事に現れた。例えば、旧正月のとき、下流家庭は豚肉やハクサイ、豆腐や太い春雨を購入し、水餃子(豚肉や白菜)及び豚肉の角煮とその野菜煮(白菜、太い春雨や豆腐を入れたシチューのようなおかず)を家に作って食べていた。それと比べて、中・上流家庭は水餃子と煮豚の他に、車海老や太刀魚などの海鮮料理及びニワトリやアヒルなどの禽肉料理をも準備した。

 また、1950年代末期から、「生活の集団化」という政治的な運動が起こったため、都市部の人々は役所や工場、学校や町内の集団給食に加入した。住民たちは、提供された主食と総菜を配給券や食券で買って、食堂で家族、同僚や友達と一緒に食べたり家に持ち帰ったりしていた。さらに、60年代から、飲食業における「平等化」や「民衆化」などの社会主義改造によって、天津地域の老舗にも大きく変容が現れた。例えば、1930年代に開店してから四川・山東両省の伝統的な料理を食べさせた「川魯飯荘」は、名代の高級的な料理(一皿で1.5元ぐらい・当時に約225円)のほかに、安くてうまい大衆むきの料理をつくるようになった。特に、天津地域食の特徴である「熬魚」(魚のいため煮)及び「砂鍋白菜」(白菜を主にして肉、はるさめなどを入れたよせ鍋)は、定食として(主食つきでわずか2、3角・当時に約30~45円)労働者に提供されていた(鄭1966:37)。

 上述の情報を活用したうえで、社会主義期における天津地域に関するそれぞれの時代的な特徴に対して、さらに詳細的な全体像を再現する予定である。特に、1950~70年代における、天津住民の食事生活に関する伝承と変容をある程度把握できるようになる。

参考文献

  • 鄭光華1966「一流の料理屋で総菜料理」、『中国画報』1966(6):36-37。

本事業の実施によって得られた成果

 今回の天津に関する和文・中文の先行研究と歴史文献の収集によって、いくつかの調査成果が見込まれる。1)上記の天津地域に関するそれぞれの時代的な特徴に対して、さらに詳細的な全体像を再現した。2)その地域における人々の食事生活に関する伝承と変容を把握した。3)中国におけるほかの地域(特に都市地域)と比べて、天津地域及びその住民の食事生活の独自性と普遍性について分析できた。4)こうした天津地域に関する先行研究と歴史文献の収集と分析によって、博士論文にむけての一回目の現地調査のための準備できた。

本事業について

 文化科学研究科学生派遣事業を受けて、博士論文の執筆と現地調査の準備に向けての資料調査が順調に進んでいる。とても有益な事業である。