総合研究大学院大学 文化科学研究科 学術交流フォーラム2009

学生による口頭発表

学生による口頭発表

台湾原住民族共同体の概念化について

発表者所属名
地域文化学・国立民族学博物館
発表者氏名
林 麗英

 本発表では、台湾原住民族のパイワン族社会に見られるアワ生産と流通の産業化を通じて、地域レベルにおける社会組織に着目し、個々の民族集団の境界を超えた「民族共同体」概念の実体化について考察することを目的とする。台湾「原住民族」(先住民族)の名称の由来は、1980年代の原住民族主権運動による土地返還、自決権を取り戻すという主張をもとにして、1990年代に原住民族が自ら正名運動を起こし、従来の「山地山胞」と「平地山胞」から「原住民族」へ公的な呼称が変更された。1996年に中央政府の行政院のもとに原住民族社会にかかわる政府政策、公共問題を統轄する原住民委員会(後に原住民族委員会)が設置された。現在、台湾政府によって原住民族には14民族が認定されている。民族間には、社会、文化体系歴史的背景に差異があるにもかかわらず、台湾の社会では公的な扱いは原住民族として一元化されている。
 原住民族政策が推し進められる状況のもとで、今回、調査の対象としたのは、プロテスタント系教会の牧師(S牧師)が3年間の計画で台湾東部のパイワン族とアミ族、漢人の混成集落であるX村で進めていた「The Millet Employment Promotion Program」というアワ栽培の復興および、アワに関連した商品の産業発展プロジェクトである。当初、プロテスタント系教会が主導していたこの計画は、S牧師が理事を務めていた法人が運営に関わるようになって、X村のパイワンのキリスト教信者のみならず、他の宗教の信者や他民族、台湾一般社会との相互交流が盛んとなっていた。そのプロセスを概略すると以下のようになる。①アワ産業プロジェクトの実施主体「台東縣原住民主體文化發展協會」の実際の運営メンバーはおもにX村と周辺のパイワンの人々である。②アワ豊年祭の主催は、X村キリスト教プロテスタント系教会であるが、参加者には集落に同居するアミ族をはじめとする他民族が多い。③ブヌン族出身が創立した森林博物館を運営するNPO組織(財團法人原鄉部落重建文教基金會)が経営難に陥った際に運営責任者をS牧師に交代した。④2009年8月に発生した88水災被害に遭ったパイワンの集落を対象とした復旧計画を従前のNPO組織を主体としてS牧師が立ち上げた。
 もともとX村では、アワ栽培も衰退しており、多数派のアミ族の豊年祭に参加するパイワン族が多くみられたが、S牧師が中心となり、パイワンのアワの豊年祭が復興し、その発展形態としてアワ産業化プロジェクトがキリスト教会関係者を中心として推進された。一方で、他民族グループや他宗教の人々との社会関係は、外部に由来する法人組織の存在に負うところが大きい。これは、もう一層の共有するアイデンティティ、すなわち原住民族意識が機能して、構築されたと解釈できる。興味深いのは、S牧師がこの二層の領域をつなぐ役割を果たしていたことのである。
 民族共同体に関する概念は、同一の文化、宗教、言語などを前提として定義されている。しかし、台湾原住民族のように、政治、社会、経済的な位置づけにおける問題意識の共有することが、原住民族共同体の概念を構築している可能性を考えることができる。これは、エスニシティの定義に新たな視角を与えることが期待できる。